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100号記念特別インタビュー:どこにゴールがあるのかはさして重要ではない

そこに向かって走り続けることが何よりも大切だ。

Astride a mockup of the leprosy “motorcycle”.

ハンセン病は医療という前輪、人権問題という後輪の両方を回さなければ解決しないことを「オートバイ(モーターサイクル)」になぞらえ訴え続ける。

2001年にWHOハンセン病制圧グローバル・アライアンス大使(2004年から「WHOハンセン病制圧大使」)に就任した笹川陽平氏は、ハンセン病蔓延諸国を中心に世界各地に足を運び、ハンセン病に関する関係者の関心を高めるために、精力的な活動を行ってきた。また彼は、大使に就任する以前より、1975年からWHOの「ハンセン病制圧プログラム」を支援する日本財団の会長としても、ハンセン病対策に取り組んでいる。今回ニュースレター100号の発行を記念して、笹川氏に世界の指導者達への働きかけやハンセン病患者・回復者に対する支援など、自身の取り組みや信条について話を聞いた。

新型コロナウイルスのパンデミックという状況下で、私たちハンセン病問題の解決に取り組む者たちはどのようなことに留意すべきでしょうか。

確かに今できることは限られている。しかしこの「時」を無駄にせず、通常であれば時間に追われて出来ないこと、例えば様々な物事についてじっくりと考えたり、多様な視点から将来の取り組みを考えたりする機会と捉えることもできる。重要なのは、この事態が収束した時に、再び自分の役割を果たせるよう、モチベーションを保ち続ける事だ。もちろん、この間出来ることはやる。特に社会的弱者であるハンセン病の患者・回復者の方々がきちんと治療を受け、生計が維持されるよう可能な範囲での協力は必要だ。

あなたは現在81歳で、一年のうち数カ月はハンセン病対策で海外で過ごし、遠隔地に足を運ぶ事も多い。今後もこれまで同じようなペースで活動されるのですか?

 身体的な年齢で人を判断するのは正しいことだろうか。20代や30代でも若者らしくない人もいる。確かに私は81歳だ。だが、今でも将来の夢や希望を持ち、ハンセン病問題の解決に向けた情熱は全く衰えていない。引き続き自分に与えられた使命を果たすのみだ。

インド・ジャールカンド州のでのハンセン病啓発キャンペーンで。(2018年)

知識と行動は一対である「知行合一」

あなたは問題と解決は表裏一体という考えの下、頻繁に現地に足を運んでおられます。それによって、それまで誰も見い出せなかった解決策を見つけた例はありますか?

 日本には、知識と行動は一対である(「知行合一」)という言葉や、言葉だけでなく行動を伴うのが真の指導者である、という長年の間で培われた行動哲学もある。つまり、指導者は資料に書かれている情報は尊重をしつつも、それだけを鵜呑みにすべきでないということだ。よって実態をこの目で確かめるために、私は必ず現場に足を運ぶことにしている。

例えば、1995年から5年間、MDT(多剤併用療法)の世界的な無償配布への資金提供を決定した時、私はそれが実際に患者の手に届いているのか確認する必要があると感じた。有難いことに、多くの国では患者の手に届いていた。しかし一部の国では、その国の保健省で止まっていて現場に届いていない、時には保健省にすら届いていないというケースもあった。そうしたことから、私はその問題を政府に指摘し、MDTが患者の手に届くよう働きかけたことが何度もあった。

コモロ諸島・アンジュアン島のホンボ病院でMDT薬剤を確認する。(2018年)

WHOハンセン病制圧大使としてのあなたの活動の一つに国際社会や各国政府への働きかけがあると思います。あなたはこれまでに世界各国の指導者達や政府高官に直接会い、彼らへの働きかけを何度も行っています。これまでに何人位の要人に会われてきたのですか?

当方の記録によれば、現職・元職を含め458人の大統領や首相と面談した。さらに保健大臣を始めとする大臣や次官、知事を含めると数千人になる。しかし、それはWHOハンセン病制圧大使に就任する以前から、日本財団での職務の一環として行ってきたことも含まれる。れまでに、ハンセン病対策を目的とした海外渡航は909回、訪れた国は121カ国、滞在日数にすると3,354日になる。つまり日本の外で約10年間過ごしたことになる。これまで、ハンセン病だけのために、海外を頻繁に飛び回ってきた人間は私以外にいないのではないかと自負している。

私の訪問をきっかけに、自国にハンセン病が存在することに気づいた指導者もいた

 各国の指導者にハンセン病に関心を持ってもらい、政治的な決断をしてもらう秘訣は何ですか?

 先ずこの病気の特徴とも言える「誤解」とそれによってもたらされてきた悲劇についての説明から始める。ハンセン病の歴史は旧約聖書が書かれた紀元前にまでさかのぼる。あくまでも個人的な見解であるが、ハンセン病は病気を理由に他者を差別する例として、人類にとって最初のケースであったのではないか。以来現代に至るまで、ハンセン病は特に社会から孤立しがちな貧しい人々を苦しめてきたし、その患者は病気を理由に社会から疎外され、人権を踏みにじられてきた。

さらにハンセン病は、注目されないことが災いして正しい知識の普及が遅れている。私の訪問をきっかけに、自国にハンセン病が存在することに気づいた指導者もいた。だからこそ、私は彼らと会うことでハンセン病への意識を高めることに意義があると考えている。通常私が指導者達と会う時は、保健大臣を始めとする関係閣僚が同席する。国家の最高責任者がハンセン病について言質を与え予算がつけば、当局である保健省は動かざるを得ない。どの国でも、保健省はHIV、マラリア、結核などあらゆる種類の疾病に対処しており、ハンセン病のように比較的少症例のものは、政策的な優先順位が低い。それを変えるためには、常に指導者達を説得する必要がある。

2004年3月、第60回国連人権委員会の本会議で発言を行う。

要人との会合では、当事者であるハンセン病回復者の方々を同行されるなど、長年にわたり彼らのエンパワーメントに取り組んでこられました。彼らの役割をどう考えますか。

ハンセン病問題に対する私の考え方を、よくオートバイに例えて話している。その前輪は病気を治すこと、後輪は人権の回復だ。すなわち差別をなくし、回復者の人たちが皆と同じように普通に暮らすことができる社会を実現する必要がある。

何千年もの間、ハンセン病患者および回復者、さらにその家族らは、病気に関する誤解と無知によって、病気が治癒した後も社会で虐げられてきた。よって私は、国際社会への働きかけを行い、その結果2010年の国連総会で「ハンセン病差別撤廃決議」が原則及びガイドライン(Principles and Guidelines:P&G)と共に193カ国全会一致で採択されたことは、ハンセン病を人権問題として取り上げるきっかけ作りに寄与できたと思っている。

しかし、未だに多くの国でハンセン病に関する差別的な法律や悪しき習慣が残っている。こうした状況を改善するためには、当事者であるハンセン病回復者自らが声を上げ、一市民として尊厳を回復し自立した生活を送るとともに、新しい患者の発見にも貢献していくことは非常に意義がある。私は彼らに対し、「あなたは外に出て声を上げ、団結して社会に訴えるべきだ」と伝え協力もしてきた。

私たちは病気としてのハンセン病対策に取り組むと同時に、差別という社会問題の解決に着目することも重要だ。つまり、この2つをオートバイの前輪と後輪として同時に回転させることで、ハンセン病問題の真の解決につながっていく。私はその旗振り役でありたいと常に思っている。

Ethiopia

エチオピアの回復者団体元代表のビルケ・ニガト氏を伴い、メレス・ゼナウィ首相を訪問。(2006年)

社会に変化を起こしていくためには、何が必要でしょうか?

会議や論文だけで人々の心を動かすことはできない。また、国によって歴史や文化が異なるように、人々の考え方も環境や生活様式により異なる。夫婦の間でさえハンセン病に対する考え方は異なるかもしれない。だからこそ、ハンセン病に対する正しい知識を伝え、差別的な規制や法律を正す取り組みを様々な形で地道に続けていくことが大事だ。

2008年の北京オリンピックの際、ハンセン病患者の人々が中国から入国を拒否されるという出来事があった。私は即座に中国国家主席、北京市長、国際オリンピック委員会らに抗議文を送り、2週間でこの不当な措置を撤回してもらった。

また、世界に12億人の信者を持つキリスト教カトリックのフランシスコ・ローマ教皇に対し、過去の声明や発言の中でハンセン病に関する不適切な引用を用いた件について抗議を行った。「ハンセン病は治る病気であり、遺伝性の病気でも神の罰でもない。悪いものの例えとして引用しないで欲しい。」と訴えた。その後、バチカン市国にて、日本財団との共催による「ハンセン病と差別を考える国際シンポジウム」が実現し、フランシスコ教皇は信者へハンセン病に対する正しい知識を持つよう呼びかけられた。

大切なのは、皆がハンセン病を取り巻く問題について声を上げ続けることだ。冷暖房のきいた部屋で会議をして、報告書を書いているだけでは何も解決しない。様々な人たちを巻き込み、現場に出て自らの目で見て、できる限り多くの人たちと話し合うことが重要だ。

ブラジルの回復者団体主催の会合で。(2015年)

これまでの活動の中で、特に印象に残っている出会いや出来事はありますか?

私の印象に残っているのは、力強く生き抜くハンセン病回復者の人たちとの出会いだ。未だに多くのハンセン病回復者の人々が社会から疎外され非常に困難な生活を強いられている。中にはハンセン病であったために自分は物乞いをする以外に生きる道がないと思い込んでいる人もいる。

インドネシアのビアク島で出会った回復者の男性は、家族からも捨てられ、たった一人で生活していた。家族は時々食事を運んでくるが、それがない日はじっと空腹に耐え小屋の中にこもったまま過ごしていた。

インドで出会った回復者の男性は、食べものを持ってくる妻がいるが、村人たちに一緒に生活することを拒まれ、村の外れにたった一人で生活していた。

私たちが知らないだけで、世界にはまだまだこういった状況におかれた人々が多数存在する。この事実が私の心に重くのしかかる一方で、彼らをくまなく探し出す術がないことを非常に悔しく思う。まだまだ努力が必要だ。

インドネシア・ビアク島で出会った回復者の男性と。(2014年)

各国で発表されきたハンセン病の制圧宣言は、ハンセン病が無くなったという誤った印象を与えてしまう側面もがあることから、「制圧」という表現を用いることについて批判的な声があります。この点についてどのようなご意見をお持ちですか?

制圧の正しい定義は、「公衆衛生上の問題としての制圧」または「1万人に1人未満の有病率」だ。従って、「制圧」はあくまでマイルストーンの一つであり、最終目標ではない。制圧という言葉だけが一人歩きしてしまい、「公衆衛生上の問題として」という前提を忘れがちだ。一方で、「この病気を無くすため力を合わせましょう」と言うだけでは不十分で、皆が一緒に共通のゴールに向かって進んでいくうえで特定の数値目標が必要だ。そうした意味で、昨今「Zero Leprosy」といった、新しい目標が掲げられるようになったことは評価したい。

皆が協力して同じ方向に進んでいくことが何よりも大切だ

先ほどオートバイの話がありましたが、そのゴールというのはどこにあるのでしょうか?

大切なのは、ゴールがどこにあるのかでなく、そこに向かって走り続けることだ。トンネルの中を走り続けていけば、必ず出口が見えてくる。私はゴールまでの道のりを計算するのではなく、目標達成のために、皆が協力して同じ方向に進んでいくことが何よりも大切だと考える。

インドを例に挙げると、モディ首相は2030年までにハンセン病患者をゼロにするという目標を設定し、ハンセン病をなくすことに強い決意を示した。専門家達の間では2030年までの達成を疑問視する声があがっているが、私はこの目標に向かって皆が前進することが重要である考えている。結果はその後についてくるものだ。

差別という社会問題の解決も同様だ。これは人々の心の中にある問題で、ハンセン病に対する人々の見方や印象、偏見の度合は、人によって異なるからだ。だからこそ、私たち全員が同じ方向を目指して進むことが重要だ。

2005年12月、インド初となる回復者たちによる全国大会がデリーで開催された。

ではゴールに向かって走っていくうえで、何が大切なのでしょうか。

できるだけ多くの賛同者を得ることだ。残念な事実であるが、世界は流行という傾向に従うからだ。環境問題がさかんに取りざたされていた1992年、国連環境開発会議(通称地球サミット)に参加するために世界中から12,000人がブラジルのリオ・デ・ジャネイロに集結した。もちろん、環境問題は今も重要であり、引き続き議論されているが、当時の熱気は今と比較にならない位高かった。そして現在世界は、新型コロナウイルスという、人類にとってペストと同じくらい深刻な問題のことで一色だ。

新たな課題が次々に発生する中、ハンセン病のように比較的症例の少ない問題は忘れさられがちだ。しかし、ハンセン病患者・回復者らが直面してきた差別という問題の重大さを考えると、地球上の生物で唯一理性という能力を持つはずの人間が、このように不合理な行動をとってしまったことは見過ごすべきでない。その意味で、ハンセン病問題には多くの象徴的な示唆があり、この問題を解決することは人類にとって最も重要視されるべきことだ。

ハンセン病問題の「ラストマイル」についてどう感じていますか?

私の代でこの問題が解決するかどうかは分からない。私は、病気としてのハンセン病やハンセン病患者・回復者・その家族の方々に対するスティグマと差別をなくすための闘いを今後も続けていく。私は出来るところまで精一杯やるつもりだし、もし課題が残されれば、それを次世代に引き継ぐ方策を考えたい。

 

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IN THIS ISSUE
Message:
「私の旅はこれからも続く ~ 第100号発行記念に寄せて」
100号記念特別インタビュー:
「どこにゴールがあるのかはさして重要ではない」笹川陽平WHOハンセン病制圧大使

Timeline:
Reviewing developments in leprosy over the course of 100 issues of the newsletter
Special Interview II:
Encouraging Signs, Alice Cruz, UN Special Rapporteur on leprosy
News: 
Leprosy and COVID-19
From the Editor