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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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Crisis 危機

かつて国際機関の紛争地支援関連部署で勤務していた頃、皮肉屋のフランス人仲間が、「私たちは戦争で食ってンだよ!」といいました。議論沸騰して収拾がつかなくなると、おだやかに、冷静にまとめてくれるデンマーク人が「医療者だって、病気という人の不幸の上にある仕事なんだ、ま、われわれは世界の火事場の消防役みたいなもンだ・・・」と、とりなしました。

私は、大昔、大阪の病院で働いていた頃、「小児科入院患者が少ない!!」と上司が病院管理者からおしかりをうけられるのをみて、なぜ、病人が多い方がいいのか?と思っていたことがありました。消防署があるから火事が多い方がよいと思う人はひとりもいないのに、なぜ、病院があるとベッドが全部埋まっていないといけないのか・・・です。病院があって医師がいて、それでも誰も病気にならない状態こそ、人々そして社会の健康を考えると理想ではないかと思ったものです。当時はナイーブな小児科医でした。人々の健康・・・といえば病気、病気といえば医師、看護師、病院・・・と簡単に思っていたものです。後に、国際保健に従事するようになって、そもそも健康とは、身体的だけではなく、精神的すなわちメンタルな面や、社会的・・・さらにスピリチュアルなものもあると理解できましたが。

わが国では、いわゆる病気による身体的苦痛への介入法はウンと進みました。が、だからといって病気が、苦痛がゼロになることはありません。しかし、昨今の日本では、たとえば子どものcrisisは身体的な病気よりはいじめなどのメンタルや、社会的な事態が多いのですね。そしてそれらは病院の医師だけで対処できる範疇をはるかにこえています。

この2、3日のネットやTVの情報から、既に2年を超えたウクライナへのロシア軍の侵攻(2022年2月24日勃発)、7か月を超えたパレスチナのガザ地区を実効支配してきたハマスとイスラエル軍の攻防(2023年10月7日勃発)、1年1か月を超えたスーダンの内戦(2023年4月17日勃発)が収まっていないことを実感します。銃弾が飛び交う・・・などと簡単に申しますが、現在、地上戦で使われているのは、生やさしい小型銃器ではありません。最近、ウクライナ大統領のたっての要請で、バイデンアメリカ大統領が供与を決められたなどと報じられている「ATACMS(Army Tactical Missile System)」は射程約300キロメートル(東京‐名古屋間に等しい!)の長距離地対地ミサイルです。それが着弾する場所によりますが一発で何十名、ひょっとすれば100名を超える人を殺傷する破壊力があります。こんな武器の性能を表現するのに「性能の良い!」という形容詞がついていることを悲しく思います。そして、1発が数億円とか、ばかばかしいといったら叱られますか?

どんなひどい病気でもひとつの病気が多数者を脅かし、複数の命を奪うには何日かはかかります。そしてその間、対処方法が講じられます。新型コロナでいえば、マスクであったり、ワクチンであったり、手洗いであったり・・・です。武力闘争では一瞬のうちに多数の命、多数者の健康を奪います。

病気は細菌やウイルスといった目に見えない、つまり云ってきかすことが不可能な微生物が原因ですが、武器を使う戦いは必ず人間が関与しています。多分、特定の一人か二人の意見、暴論?が最初の銃弾炸裂のきっかけをつくっているのだと私は考えます。誰かがそれは止めよ!!と云ってきかせるべき・・・です。

わが国では、絶えず地震が起こります。
今年1月1日の能登半島の地震・・・あまり交通の便が良くなかった地方、過疎化が進み超といってもよい高齢化地域・・・なかなか復旧も進みません。でも、わが国には、まだそれを何とかしようという大勢の人々の善意や体制があります。私ども関連でも、石川県の県庁所在地で開業している仲間「訪問看護ステーション リベルタ金沢」が既に輪島市にサテライトを、そして5月末には金沢市で「災害時緊急避難シェルターリベルタの家」を稼働させます。とても大変。でも、やろうという決断と実践・・・それが被災地をささえます。しかし自然災害そのものを止めることは不可能です。防災対策はあっても災害は起こります。

数日前のイギリスの新聞『Gurdian ガーディアン』に、“The world’s poorest didn’t cause the climate crisis, but they bear the brunt of it. 世界の貧困者は気候危機を作ってはいないが、矢面に立たされている。”20245月15日という記事がありました。

要は、地球上で進行している深刻な気候危機は世界の最貧層がつくっているわけではないのに、最も大きく気候危機の影響を受けているのはそのような貧困層だと強調しています。途上国、特にその貧困地域の人々への気候変動の影響は顕著で食料不足、水不足、自然災害頻発などなどが深刻化しているとしています。このような地域の住民は地球温暖化ガスについていえば排出量は最少で、気候変動への責任はとても少ないのに、と主張しています。そして、気候変動の影響が大きく関与しているこれらの最も弱い立場の人々により公正な対応が必要だと訴えています。先般、小欄(「継続する戦争とヨハン・ガルトゥングの死」2024年2月26日)で取り上げたヨハン・ガルトゥングのいう間接的暴力の例です。

地震や津波、火山爆発や洪水と言った短い時間に最大の害を示す災害に比し、気候変動は、何十年、何世紀の長さで弊害が出てきます。現在、地球上最大の危機Crisisとされている気候変動は、18世紀後半以降の産業革命によって、水力、火力、そして化石燃料を濫用してきた、そのツケのような気もします。

私たちが寄って生きている地球上には、どれくらいの危機CRISISがあるのでしょうか?また、その大半は、私たちが作っているとしたら、少しではなく、大いに生き方を考えねばならない・・・と思いませんか?