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エビデンスを現場へ、実装科学で看護を変える——Sasakawa看護フェローが目指す次世代リーダー像

Sasakawa看護フェロー1期生としてフェローの活動を牽引する新谷由衣さん

取材:ささへるジャーナル編集部

多くの看護師が一度は直面する、理想の看護師像と現場とのギャップ。患者と向き合う臨床の現場は、学校での演習とはまったく違い、看護師たちは、各医療機関ならではのルールやヒエラルキーのなかで葛藤を抱えることも少なくありません。

この課題は看護分野で「リアリティショック(Reality Shock)」と呼ばれ、古くから研究が続けられてきました。

こうした現場の課題に対し、近年注目されているのが、研究で得られた知見やエビデンスを実際の医療現場へ根付かせることを目指す「実装科学」です。新谷由衣(しんたに・ゆい)さんは、この分野を学ぶために「Sasakawa看護フェロープログラム」(別タブで開く)に参加し、海外留学を経験。同プログラムは、「看護師が社会を変える」を掲げる笹川保健財団が、これからの保健分野を支える新たなリーダーとして、グローバルな視点を持った看護師を輩出するために展開している海外奨学金制度です。

留学先で実装科学を体系的に学んだことで視野を広げたという新谷さん。学びを自身の成長にとどめず、日本の看護現場へ還元したい――。そんな思いを胸に、看護を理想のアカデミアの領域へと発展させることを目指しています。これまで得た学びや成長、そして思い描く次世代リーダー像について伺いました。

看護現場の違和感から始まった実装科学への探究

――看護師を目指したきっかけを教えていただけますか。

新谷さん(以下、敬称略):幼い頃から体が弱く、病院にはよくお世話になっていました。そのなかで、病気そのものより病気と共に生きる私自身に向き合ってくれた看護師という職業に自然と興味を持つようになりました。

疾患に向き合うのが医師なら、その疾患と共に生きる患者さんの生活や人生に向き合うのが看護師のイメージ。まだ小学生だった私の将来に想像力を持って寄り添ってくれた看護師さんとの出会いが、この道を志した原点です。

その思いは変わることなく、看護師免許取得後は大学病院の集中治療室(ICU)で勤務しました。24時間途切れることのないケアに追われる毎日でしたが、2年目になると少しずつ周囲が見えるようになり、看護のあり方について考える機会も増えていったのです。

ICUでは、医師の指示を待つだけでは患者さんを守れません。状態を的確に把握し、一日でも早くICUから退室できるよう、看護師自身が考え行動する必要があります。だからこそ、少しでもエビデンスの高いケアを提供したいと考えていました。

しかし、たとえ有効な知見があっても、病院には独自のルールや慣習があり、個人の思いだけで組織を変えることは難しい。

「正しさ」は時代とともに変わります。では、有効な知見をどうすれば現場に根付かせることができるのか。その問いを突き詰めるなかで出会ったのが、研究成果を社会へ実装するための学問、インプリメンテーションサイエンス(実装科学)でした。

実装科学を学ぶきっかけについて話す新谷さん

揺れ動く想いの先で再びアカデミアを志し、Sasakawa看護フェローに出会う

――留学前にはどのような経験を積み、どのようにSasakawa看護フェロープログラムと出会ったのでしょうか。

新谷:実装科学を学ぶなら、当時からいち早く同様の分野であるトランスレーショナルリサーチ(※)をけん引していらっしゃった真田弘美(さなだ・ひろみ)先生(現在、石川県立看護大学・学長。東京大学・名誉教授)の研究室で研究の基礎を学びたいと思っていました。

真田研究室は、看護領域では稀有な研究室で、企業との連携、工学との融合、ラットを使用した基礎研究など、研究者としての第一歩を学ばせていただくには贅沢過ぎる環境でした。

研究結果を現場に定着させるところまで研究として行う——これは真田先生からいただいた大切な教えです。東大の修士を修了後はオーストラリアの大学で博士課程に進む予定でしたが、2020年3月、世の中はコロナ禍。留学は受け入れが不透明となり国内外すべてが止まった時代でした。留学が白紙となり、医療現場の逼迫を目の当たりにし、現場に戻らないという選択肢は当時の自分にはありませんでした。

一方その頃、広島の実家では母が祖母を介護していました。祖母は病院を好まず、住み慣れた家で最期を迎えたいと望んでいました。

私自身も「どう生きるか」と同じくらい「どう最期を迎えるか」ということは本人が舵取りするべきことだと、多くの患者さんとの別れを経験しながら常に感じていたこと。コロナ禍もあり、ケアマネジャーや訪問看護、在宅医師の協力なくしてはできなかったのですが、私が在宅医療への切り替えや関係者との調整を進めました。

結果として、祖母は痛みを伴う治療や、家族と引き離される苦痛もなく、家族に囲まれながら穏やかに旅立つことができました。また長年祖父母の介護を担ってくれた母も祖母を「失う」のではなく、人生の自然な現象として「見送る」ことができ、寂しさはあったと思いますが強い喪失感はなかったように思います。

しかし、これは私が看護師だったから実現できたこと。前向きに「どう最期を迎えるか」を自分で舵取りができる社会システムを構築するには、まだまだ実装科学としてやるべきことが多くあると考えています。

祖母の介護を手伝いながら「アカデミアに戻らなければ」という思いを抱えつつも、現場の看護師として「目の前のやるべきことをやっていこう」と思っていた、そんな時に、真田先生からSasakawa看護フェロープログラムを紹介いただきました。「もし受からなければアカデミアの道は諦めよう」という覚悟で受験を決意しました。

そのような背景やタイミングを考えると、Sasakawa看護フェロープログラムに合格できたのは運命だったのかもしれません。

※看護におけるトランスレーショナルリサーチは、生活 の支援を基本として、常に実践現場から研究のニーズを見出し、将来発展が期待できる可能性のあるシーズ(技術の種)を探求あるいは考案し、実践に還元できる形で検証していくプロセスを辿る(聖路加看護学会誌 Vol.15 No.1 February 2011 真田弘美先生の記事より)

――留学先にジョンズホプキンス大学を選んだのはなぜですか?

新谷:公衆衛生学のトップスクールだからです。学びをどう社会貢献に結びつけていくのかを考える上で、公衆衛生学の基礎となる疫学や統計学は欠かせません。

ホプキンスはその両分野で世界的な研究・教育実績を持ち、実装科学の研究・教育拠点としても世界有数。公衆衛生学の基礎と実装科学の両方を、1年という限られた期間で集中的に修得できる環境はここしかないと思いました。

ジョンズホプキンス大学にて、新谷さんと同期の皆さん

一流の教育者と同期に囲まれ、公衆衛生学と実装科学を修得

――留学先で印象深かったことを教えてください。

新谷:最初のオリエンテーションがもっとも刺激的でしたね。私のMPH(Master of Public Health:公衆衛生学修士)課程の同期は250人ほどで、人種も国籍もさまざま。それが、30年後における世界の人口分布の割合を想定して世界中から学生を集めているのだと聞いて驚きました。

アフリカ勢が圧倒的に多く、いずれ人口のトップになるのでしょう。世界の縮図を見ているようで、とてもユニークだと思いませんか。「あなたたちは世界の公衆衛生を引き上げる存在にならなければならない」という教授の言葉にも、みんな大いにモチベーションを高めていました。

また、私は東大大学院で研究の基礎を学び、留学前から所属している国立国際医療センターエイズ治療研究開発センター(以下、ACC)で研究実践をすでに行っていたため、ホプキンスでは、より先進的なインプリメンテーションリサーチ(実装研究)の手法・解析方法を身につけたいと考えていました。

MPHの教授陣は全体として教育者としてのレベルがとても高く、学生の知識・スキルセットのレベルに応じた教育やアドバイスを提供できる方が多くて、多様性に富んだ環境の中でも自分の学びたいことはしっかりと学ぶことができました。

勉強面では、とにかく効率化が求められます。そうしないと学べるものが少なくなってしまうからです。特に驚いたのはシンガポール勢の圧倒的な作業効率です。講義を聞きながらスライドの内容を整理し、自分用の資料をその場で完成させてしまう。同級生のレベルの高さを目の当たりにしましたね。

こうした仲間たちは卒業後、やはり各国を代表するような立場で活躍しています。その人たちと生涯にわたってネットワークを築けることが、とても心強い財産だと感じています。

ジョンズホプキンス大学の卒業式にて、マリー・ディーナーウェスト教授(左)と新谷さん

――実践的なスキルはどのように磨かれたのでしょうか。

新谷:在学中にインプリメンテーションリサーチに関する講義、HIV領域に関する研究のネットワーキング、ボルチモア(米国メリーランド州)に住むHIV感染者へ治療やカウンセリングを行うクリニックでのシャドーイングに積極的に参加しました。

ボルチモアは貧困・薬物中毒などの社会問題を抱える地域でもあり、HIV治療のアドヒアランス以前に「まず住む場所を確保しよう」という状態だったんですよね。

現在HIV領域でインプリメンテーションリサーチの介入が多くされている新規感染者数の多いサブサハラ・アフリカ地域が抱えるHIV関連の問題が、日本のそれと大きく異なることは知っていましたが、同じ先進国でもこうも異なるのか、というのは驚きでした。

アメリカにおける保険制度や文化、宗教など、社会背景を理解しなければ、研究結果を社会にどう還元できるか、研究者としてどう貢献できるか全くわからないのだと痛感しました。

ある意味、自分はアメリカに残るのではなく、学んだことを実装科学の研究者として日本で貢献したいという思いを強くした経験でもあります。もちろん、研究者として必要な情報収集ができたことは大きな学びになりました。

留学で得た学びについて語る新谷さん

アルムナイとして、フェローと看護領域の発展をつなぐ架け橋に

――現職ではどのような研究に携わっているのでしょうか。

新谷:ACCでHIV予防の研究に携わっているのですが、現在は上級研究員として、ACCが継続的に収集しているHIV感染症や性感染症に関する膨大なデータを社会に還元できる形にするため、データクリーニング・解析しながら論文を執筆しています。

――留学を経て、ご自身のマインドや今後の目標に変化がありましたか?

新谷:Sasakawa看護フェローのアルムナイ(卒業生)として、このネットワークをより社会に役立てたいという思いが強くなりました。今は笹川保健財団の喜多悦子(きた・えつこ)会長と、HIVと共に生きる高齢者を支援する事業化について話し合っているところです。

医療技術の進歩により、毎日の服薬で非感染者とほとんど変わらない寿命をまっとうできる時代になりました。しかし一方で、社会全体の人口構造と同様にHIVと共に生きる高齢者も年々増加してきています。誤った認識や疾患に対するスティグマから訪問看護や在宅医療の利用につながらないケースもあります。

そうした課題に対し、フェローをはじめとする自身のネットワークを活かしながら、解決の糸口を見つけていきたいと考えています。

――帰国後はフェロー1期生として、フェローの集まりを企画されたと伺いました。

新谷:率直に言うと、看護学という分野はエビデンスよりも経験や感情が優先されるケースが見られることもあり、他領域に比べて多面的な領域であるがゆえにアカデミアの側面が弱いと感じています。

「学位論文を書いた=看護学の研究ができた」ではありません。研究目的から結論まで一貫性があるか。目的に対して適切な方法で解析を行い、目的との整合のとれた結果を提示し、それをオーバーリーチにならず考察できているか。そこまで突き詰めて考えることが大切です。

だからこそ、アメリカのトップ大学で学位を取得したフェローの皆さんには学術的に批判的な視点で研究を読み解ける姿勢を身に着けてほしい。その思いから、今回初の試みとなるアカデミックな形式を取り入れた留学報告会を企画しました。

修了生フェローが学位論文を発表し、それに対してアルムナイがクリティーク(論文を検討し、評価する)を行うというものです。賛否両論はありましたが、単なる研究報告会よりも学びの多い場になったとは思っています。

今後も、看護学の学術的な側面の発展を後押しする存在として、Sasakawa看護フェローが機能するよう力を尽くしたい。それが、喜多会長の掲げる「看護師が社会を変える」につながると思っていますから。

新谷さん(後列・真ん中)が中心になって企画・実施したSasakawa看護フェローの留学報告会にて、同期や後輩たちと共に

編集後記

実装科学を国内外のトップスクールで体系的に学び、その知見を社会実装へとつなげることを志す新谷さん。その姿勢は、純粋に研究成果を追究する研究者というよりも、エビデンスに基づいて現場の課題解決を図る「実践的な科学者」としての力強さを感じさせます。

フェロー1期生のアルムナイとして、自らが橋渡し役となり、フェローコミュニティの発展と看護業界全体の底上げに貢献しようとする視座がとても印象的でした。

Sasakawa看護フェロープログラムは2026年度前期フェローを募集中(2026年8月31日まで)、後期募集は10月頃開始予定です。詳しくはこちら

撮影:十河英三郎

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