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1月最終日曜は「世界ハンセン病の日」。南里理事長に聞くハンセン病問題のいま

笹川保健財団 南里隆宏理事長。撮影:永西永実

取材:ささへるジャーナル編集部

毎年1月最終日曜は、「世界ハンセン病の日」。ハンセン病の正しい知識を広めるために、1954年にフランスの社会運動家、ラウル・フォレローの提唱によって始まった国際デーです。

笹川保健財団では関連団体である日本財団と共に、2006年から「世界ハンセン病の日」に合わせて宗教指導者、政治指導者をはじめ、経済界、医師会、法曹界、人権活動団体など各界を代表する組織や個人からの協力を得ながら「ハンセン病に対する偏見と差別をなくすためのグローバル・アピール」を開催してきました。

そして2025年の1月30日の開催で、記念すべき20回目を迎えます。

2024年1月31日、スイス・ジュネーブのWHO本部で開催されたグローバル・アピールの模様。
写真は宣言文を読み上げる子どもたちを見守るWHO事務局長テドロス・アダノム博士(右)と
WHOハンセン病制圧大使の日本財団・笹川陽平会長(左)

この記事では、来るべき「世界ハンセン病の日」に向けて、国内外におけるハンセン病の現状と、患者やその家族が抱える問題、ハンセン病に対する偏見や差別をなくすために社会に必要な取り組みを、笹川保健財団の南里隆宏(なんり・たかひろ)理事長にお話を伺いました。

笹川保健財団 南里理事長 撮影:永西永実

ハンセン病に対する正しい認識を広め、差別や偏見をなくしたい

――2025年は笹川保健財団と日本財団がWHO(世界保健機関)の支援を始めてから、50年目の節目を迎えます。これまでの代表的な取り組みについて教えていただけますか。

南里さん(以下、敬称略):笹川保健財団では、ハンセン病のない世界を目指して「病気による負荷をなくす」「差別や偏見をなくす」「歴史を保存する」を3本柱に、さまざまな活動を行ってきました。その内容は、治療薬の開発支援や無償配布、各国のハンセン病に関するデータ収集・分析、ハンセン病当事者団体の支援、正しい知識を広めるための啓発活動など多岐にわたります。

また、日本財団の会長であり、WHOハンセン病制圧大使・日本政府ハンセン病人権啓発大使でもある笹川陽平(ささかわ・ようへい)氏は、これまでに120以上の国を回り、ハンセン病当事者(患者、回復者、その家族ら)を支援するために、現在も積極的に活動しています。

2000年代初頭から「ハンセン病は人権問題である」という国際世論を確立するために、日本政府や世界各国のハンセン病当事者らと連携し国連人権理事会へ働きかけを行ってきた同氏にとって、2010年に国連総会本会議で「ハンセン病差別撤廃決議」が全会一致で採択されたことは、大きな功績の1つといえるでしょう。

世界のハンセン病の新規症例の半分以上を占めるインドへ何度も訪問し、患者を見舞う、
WHOハンセン病制圧大使の日本財団・笹川陽平会長(左)

――南里さんはいつ頃から笹川保健財団やハンセン病の問題に関わっているのでしょうか?

南里:私は2002年に日本財団グループに入ったのですが、ハンセン病の問題に本格的に取り組むようになったのは10年前からです。

それ以前も約20年間にわたり複数の組織で途上国の貧困削減に取り組んできましたので、貧困層や社会的弱者の実態はある程度理解しているつもりでした。……が、初めて自分の目でハンセン病当事者の現状を見た際に、自分は何も知らなかったのだと愕然としました。

経済社会の構造をピラミッドに見立てた「富のピラミッド」という言葉がありますが、私はその最下層にあたる貧困層の人たちの支援を行ってきました。ところが、ハンセン病患者はピラミッドにすら入れないのです。21世紀に入った今でもまだ、非人間的な扱いを受け、社会参加が許されていない人々がたくさんいることに衝撃を受けました。

2024年3月に、笹川保健財団が教育支援するバングラデシュのハンセン病当事者の居住地域を訪ねた南里さん(中央)。
子どもたちと共に

――そうだったのですね。改めて、グローバル・アピールの概要と目的についてお聞かせください。

南里:ハンセン病を取り巻く問題は、実際に現地に足を運んだり、映像を見たりすれば一目瞭然です。それにもかかわらず、患者が多い国や地域ですらハンセン病についてほとんど知られていない、この問題に取り組んでいる人が実は少ないという現状があります。

ハンセン病患者が、これほど長い間差別の対象とされている背景には、ハンセン病を発症し、治療が遅れると抹消神経が侵され、知覚麻痺や運動障害が生じ、容姿に影響を及ぼすこともあることが挙げられます。そのため、罹患する人を減らすこと以上に、早期発見・早期治療によって後遺症を予防することが重要です。

今やハンセン病は治る病気であり、実際には感染力はとても弱いのです。さらに、もし罹患したとしても、早期に治療を開始し、一定期間薬を飲み続ければ、元の生活に戻ることもできるのです。こうした正しい情報とともに、「ハンセン病患者・回復者・その家族らに対する差別を行うべきでない」というメッセージを継続的に伝えることがグローバル・アピールの最大の目的です。

また、単なる啓発活動では多くの人にメッセージを届けることはできません。そこで私たちはこのグローバル・アピールを通じて啓発の裾野を広げるために、世界医師会や国際看護師協会、国際法曹協会など影響力を持つ国際的なネットワークと連携して、世界中にこのメッセージを伝えることを、大きなミッションとしています。

2020年1月に開催されたグローバル・アピールには、安倍晋三(あべ・しんぞう)首相(当時)や
パラリンピック競技大会組織委員会の 森喜朗(もり・よしろう)会長(当時)なども参加

――これまでのグローバル・アピールを振り返って、とくに印象に残っているエピソードなどがあれば教えてください。

南里:最も思い出に残っているのは、2015年に日本で初めて開催したグローバル・アピールです。スタートしてから10周年という節目もあり、非常に力を入れて取り組みました。

開催に向けて著名人からの応援メッセージを集めた特設サイト「THINK NOW ハンセン病」を開設したり、私自身も街頭に立って一般の方たちからもメッセージをいただいたり、一人でも多くの方にハンセン病問題に関心を持っていただくため、さまざまなキャンペーンを行いました。

また、グローバル・アピール開催翌日には、国内外のハンセン病回復者が天皇、皇后両陛下(現、上皇上皇后両陛下)に皇居へ招かれました。両陛下は国内全てのハンセン病療養所に訪問されており、ハンセン病に対する造詣が深く、回復者の置かれている現状に、長年心を寄せられていました。そのような背景もあり、10カ国から集まったハンセン病回復者一人一人に対して、両陛下は温かいお言葉をかけてくださったのです。

参加したメンバーの一人が「自分たちは家族にも見放されて、家族と会話したり、握手したりすることも叶わない経験をしてきたのに、こうして日本の天皇皇后両陛下とお話ができるなんて、夢のようだ」と話していたことを思い出します。

2015 年のグローバル・アピール開催翌日、皇居にてハンセン病回復者に声をかけ握手をする上皇上皇后両陛下

ハンセン病から回復した人が、元の生活に戻れる社会を目指して

――素敵なお話ですね。第20回目はインドで開かれ、ハンセン病蔓延国56カ国の保健省が開催パートナーとのことですが、その背景について教えてください。

南里: 2025年は日本財団および笹川保健財団がWHOを通じて世界各国政府のハンセン病対策を支援するようになってから50周年の節目に当たります。そこで、今回は過去3年間で支援した国を中心に56カ国の保健省の賛同を得た上で、宣言を行うことになりました。

――ハンセン病患者が世界で最多とされるインドには現在、どれくらいの数のハンセン病罹患者がいるのでしょうか。

南里:コロナ禍前は12万人前後でしたが、現在は10万人強でしょうか。というのも、ハンセン病は「患者を見つける」活動をしなければ実態をつかむことが難しく、コロナ禍でその活動が停滞したため一時的に世界中のハンセン病の患者数が減りました。ですが、活動が再開されたことにより、また少しずつ増え始めています。

2023年の新規患者数が1,000人以上の15カ国を示す表:
インド/107,851人 	
ブラジル/22,773人 	 
インドネシア/14,376人 	
コンゴ民主共和国/3,945人 	 
バングラディシュ/3,639人 	
エチオピア/2,395人	
モザンピーク/2,752人	
ナイジェリア/2,425人
ソマリア/1,519人
ネパール/2,522人
タンザニア/1,454人 
マダガスカル/1,659人
スリランカ/1,520人 
ミャンマー/1,338人
フィリピン/1,357人
世界合計/182,815 人
2023年の新規患者数が1,000人以上の15カ国(WHO)

南里:私たちも、コロナ禍以降、「Don’t Forget Leprosy (ハンセン病を忘れないで)」というメッセージを掲げてキャンペーンを続けています。

2024年2月12日、アフリカの最高峰キリマンジャロに登頂し、
「Don’t Forget Leprosy(ハンセン病を忘れないで)」のバナーを掲げた笹川大使

――インドではハンセン病の患者の方はどんな生活をされているのですか?

南里:インドにはハンセン病回復者やその家族らが居住するコロニーと呼ばれる集落が約750カ所あります。これはかつてハンセン病に罹患したことで家から追い出された人たちが自発的に集まってコミュニティを形成したものです。いまだ多くの住民は貧しく、物乞いで生計を立てている人々もいます。

現地のNGOの調査によると、コロニーで生活する回復者は約2万7,000人に上ります。一方で、現在のハンセン病患者の多くは自宅から通院して治療を受け、コロニーに隔離されることはほとんどありません。しかし、政府や自治体は、彼らが治療を完了した後、どのような状況にあるのか追跡調査を行っている訳ではありません。

よって、インドの年間新規患者数が10万人強であることを考えると、コロニーはハンセン病当事者の現状を垣間見る上で象徴的な位置づけにあるものの、実際は多くの当事者の実態がつかめていないのです。

繰り返しになりますが、現在ではハンセン病は治療が可能な病気です。ハンセン病から回復した人は、元のコミュニティに戻るわけですが、回復者たちのその後については、ほとんど分かっていないのです。

元の生活に戻っている人もいれば、偏見や差別を受け続けている人もいるかもしれない……。これは大きな課題の一つでもあります。

インドのハンセン病コロニーに暮らす人々
路上で物乞いをするインドのハンセン病回復者
ハンセン病というだけで差別され、仕事に就けずに、物乞いをして暮らす人も少なくない
 

――南里さんは世界の貧困問題に取り組んできたとのことですが、貧困とハンセン病に関連性はあるのでしょうか。

南里:大いにあります。私は、ハンセン病は貧困問題であるといっても過言ではないと考えています。

実際に、世界的に見てもハンセン病は貧困層に多い病気です。特にインドやネパールにはカースト制度(※)が今も根強く残っており、最下層のカーストの人たちがハンセン病にかかることで二重、三重の差別が生まれる。貧しい人々が暮らす家に実際に行くと、4畳半にも満たないような狭い空間で5人が生活していたりするのです。

らい菌に感染する経路や、その後ハンセン病が発症するメカニズムはまだ医学的に解明されていないものの、衛生状態や栄養状態、患者と長時間接することなどに関係があるといわれており、貧困層の人たちが置かれた環境を見ると全て当てはまるわけです。また、バングラデシュなどのハンセン病の多い地域に行くと、やはり貧困層が多く、児童婚を経験している10代の女性にもたくさん会いました。

故に、単に病気を治す、差別をなくすだけでなく、SDGsの目標にも掲げられている「誰一人取り残さない」という視点からハンセン病問題に取り組むことが重要で、政策立案者にもこうしたメッセージを伝えていく必要があると感じています。

※インドのヒンドゥー教と密接に結びついた、身分や階級を分ける制度。インドやネパールでは憲法により禁止されているが、社会に根強く残り、差別問題を引き起こしている

インドのハンセン病コロニーで暮らす子どもたち

南里:20回目の節目を迎えるに当たり、原点に返ってもう一度、ハンセン病当事者を中心にメッセージを発信しようと、第1回目の開催地でもあるインドで開催することになりました。

今回は、オリッサ州のブバネシュワールで開催します。オリッサ州は、インドの中でもハンセン病の高蔓延地域の一つであり、20回目にして、初めて大都市ではなく、「現場」からハンセン病に対する偏見と差別を撤廃するためのメッセージを世界に向けて発信することになります。

国内でも根強く残る、ハンセン病回復者や家族への偏見・差別

――ここまでは海外のハンセン病を取り巻く課題について伺いましたが、日本の現状はいかがでしょうか。

南里:政府は過去の隔離政策の誤りを公式に認め、ハンセン病の回復者やその家族に対しても補償金を支給しています。また、当事者の方の名誉回復に取り組むため、現在当財団が厚労省から受託し運営に携わっている国立ハンセン病資料館などを通じて啓発を行っています。

しかしこれでハンセン病の問題が終わったわけではなく、まだまだ根強い偏見や差別が残っています。

以前、私のゼミ生を連れて、ハンセン病の国立療養所の1つ「多磨全生園」へ赴き、入所者の方にお話を伺ったことがありました。

その時に「今は外部からたくさんの方が園を訪れるようになったが、近所に暮らしている人々との交流がなかなか進まない」とおっしゃっていたのが印象的でした。また、参加した学生の中には、ハンセン病施設へ行くことに反対した親を説得して来たという人もいました。

ハンセン病は昔から存在する病気ですが、「全く知らない」あるいは「なんとなく名前は聞いたことがある」という人がほとんどで、回復者やその家族が今も苦しみ続けていることを知っている人はごくわずかに過ぎません。現在、国立ハンセン病資料館ではセミナーやイベントだけでなく、教育機関を対象とした出前授業なども行っていますが、時代の変化に合わせながらも、啓発活動を継続していくことの大切さを感じています。

多磨全生園の旧図書館(理・美容室)
東京都東村山市にある多磨全生園。
現在(2024年5月1日時点)、日本全国に13カ所あるハンセン病の国立療養所で生活をする回復者は約718人。
平均年齢は88歳を超え、当事者の声を聞くことが難しくなりつつある

――改めて、ハンセン病問題を解決するために、社会全体、そして私たち一人一人にできることがあるとしたら、どんなことでしょうか。

南里:私たちが目指しているのは、「ハンセン病問題がない社会」、つまり「ハンセン病を経験したことで苦しむ人々がいなくなる社会」です。それには、私たちだけの力では実現することはできません。そのためにはやはり、まずは一人一人が正しくハンセン病問題を理解し、たとえ小さいことであってもそれぞれが何か出来ることがないか考え、行動に移していくことが必要でなないでしょうか。

また、国や政治指導者の“やる気”も必要ですね。先ほどもお話したように、患者を減らすためにやるべきことは、「患者を見つけ出す」ための活動が欠かせません。蔓延地区を中心に戸別訪問を行い、ハンセン病患者を探し、適切な治療を行う――。地道な活動ですが、とても重要です。

また、最近では、予防薬の投与によって濃厚接触者の発症を抑える取り組みも始まりました。やるべきことが分かっているにもかかわらず、実現できない背景には、対策にかける予算がないことも挙げられます。特に途上国では、ハンセン病以外にもさまざまな疾患があるため、どうしても優先順位が低くなってしまう。私たちは政策を立案する指導者に向けても、メッセージを伝えていきたいと思っています。

これからも、継続して「ハンセン病問題のない世界」を実現するために活動したいと語る南里さん。撮影:永西永実

南里:グローバル・アピールをはじめ、世界各国でさまざまな啓発活動を行ってきましたが、残念ながら、いまだに偏見や差別など、ハンセン病を取り巻くさまざまな課題が存在しています。

笹川保健財団では、自分たちが取り組んできたことをきちんと検証し、成果が出ていることは継続していくと同時に、いまだに残る課題を解決するために何をすればよいのか、私たちが持っている強みや資源をどう効果的に活かしていくべきなのか、「ハンセン病問題のない世界」というゴールに向かって、諦めずに進んでいくことが重要であると思っています。

編集後記

くり返しになりますが、ハンセン病は治る病気です。そして、感染力は極めて弱く、ほとんどの人が免疫を持っています。ひとりでも多くの人がハンセン病に対する正しい知識を持ち、世界中から差別や偏見がなくなることを、心から願います。

〈プロフィール〉
南里隆宏(なんり・たかひろ)
笹川保健財団理事長。社会デザイン学博士。元跡見学園女子大学観光コミュニティ学部准教授。現在、昭和女子大学や中央学院大学などで教鞭を執る傍ら、JAGNTD運営委員、社会デザイン学会理事などを兼務。過去に政府・国際機関・NGO・研究者らによる国際的なアライアンス「ハンセン病をゼロにするためのグローバル・パートナーシップ」(GPZL)副会長、日本財団プログラムディレクター、笹川平和財団USA事務局長、笹川平和財団事業部副部長、アジア開発銀行NGO Forum代表理事などを歴任。