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自分ごととして捉え、他者を思う心を育む——高校生がハンセン病問題を知ることの意味

写真右から2025年2月11日に開催の「ハンセン病問題に関するシンポジウム」に参加する
熊谷晃貴さん、佐藤凪紗さん、中村亨也さん、髙橋嶺さん、担任の田中佳太先生

取材:ささへるジャーナル編集部

1968年にスイスで設立された国際バカロレア機構(略称:IB)は、国際的な教育プログラムを提供する非営利教育団体。2024年11月に、その認定校の1つとして認められた埼玉県岩槻区にある開智高等学校(外部リンク)の一貫部では、2025年4月からのIB教育の本格実施を前に、IB教育に準じたディスカッションをベースにした授業が展開されています。

その中で、ハンセン病問題に関心のある生徒たちにより、ハンセン病の理解を深め「差別や偏見がない社会づくりを目指すプロジェクトが実施されています。

これまでに専門家による特別講義をはじめ、ハンセン病回復者の家族への取材を通して、啓発のためのリーフレットを作成。そして、その集大成として2025年2月11日に福岡県春日市で開催される「ハンセン病問題に関するシンポジウム」(外部リンク)にて成果の発表を行います。

今回、同シンポジウムに登壇する同校1年生の熊谷晃貴(くまがえ・こうき)さん、佐藤凪紗(さとう・なぎさ)さん、髙橋嶺(たかはし・れい)さん、中村亨也(なかむら・きょうや)さんの4人に 取材しました。

学びを通して、彼らがハンセン病問題に対し感じたこととは何か?

また、「差別や偏見がない社会づくりを目指すプロジェクト」を組み立て、彼らを導いた担任の田中佳太(たなか・けいた)先生にもお話を伺いました。

小説『あん』がハンセン病問題に興味を持つきっかけに

――皆さんが「差別・偏見のない社会づくりプロジェクト」に参加するきっかけはなんだったのでしょうか。

佐藤さん(以下、敬称略):私はそれまでハンセン病についてほとんど知りませんでした。田中先生が授業で、ハンセン病回復者の人生が描かれた小説『あん』(※)を取り上げ、クラスでディスカッションを行ったことから興味を持ちました。

※ハンセン病回復者の主人公が社会に残る偏見と向き合う姿を描いた、2013年2月にドリアン助川(すけがわ)が出版した小説。参考:ポプラ社「あん」(外部リンク)

ハンセン病問題に強い関心を抱いたきっかけを話す佐藤さん(右)

髙橋さん(以下、敬称略):僕は中学生の頃から、ハンセン病にかかったといわれている戦国時代の武将・大谷吉継(おおたに・よしつぐ)を通して病気の存在を知っていました。

自分で「ハンセン病ってどんな病気だろう?」と調べる中で、これまでの歴史や、「差別・偏見をなくそう」という活動が続けられているにもかかわらず、どうしてこの問題はなくならないのか、疑問を持ったことがきっかけです。

髙橋さん(左)はゲームをきっかけに大谷吉継の存在を知り、ハンセン病問題に興味を持った

――プロジェクトに参加したことで、ハンセン病問題に対する見方や考え方に、変化はありましたか?

熊谷さん(以下、敬称略):学べば学ぶほど「他人事ではない」と思うようになりました。ハンセン病に限らず、こうした差別や偏見は現代社会にもあり、ある意味、今私たちが体験していることそのものだといえると思います。

政治や法律に興味があり、ハンセン病問題にどちらも大きく影響していることから関心を持ったという熊谷さん

中村さん(以下、敬称略):僕は、このプロジェクトに参加するまではハンセン病のことについてほとんど知識がなく、すでに解決した過去の問題だとばかり思っていました。

ですが、ハンセン病回復者のご家族が国を相手に起こした裁判が終わったのはつい最近だと知って驚きました。判決は出たかもしれませんが、実際にこの問題はまだ終わっていないと思っています。

プロジェクトに参加して、ハンセン病問題に対する見方が大きく変わったという中村さん(真ん中)

「ただ知ってほしい」——回復者家族の言葉に胸を打たれた

――今回のプロジェクトでは、ハンセン病回復者のご家族の方へインタビューをされたと伺っています。印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

佐藤:インタビューを受けてくださった方は、幼い頃から「ハンセン病患者の家族」だからという理由でいじめを受けていたそうです。

お話を聞く前に、こうしたご家族の中には、「ハンセン病問題にはもう二度と関わりたくない」と、補償金の申請さえ拒む方がいると聞いていたので、その方が「家族を大切に思っている」「自分がいじめや差別を受けるのはおかしいことだ」と信念を持ってお話されていたことがとても印象的でした。

熊谷:インタビューの中で、「若者に望むことはありますか?」と伺ったときに「ハンセン病問題について知ってほしい。それが一番に伝えたいことだ」とお話されていたことが印象に残っています。

自分が同じ立場だったら、やっぱり同じことを言うだろうと思いましたし、正しい情報を伝えていきたいと思いました。

中村:お話を聞く前は、自分の中に「かわいそうな人たち」という同情心があったのですが、インタビューを進める中で「私は同情してもらいたいのではなく、ただ知ってもらいたいんだ」という言葉があり、自分の認識が間違っていたことに気づかされました。

また、僕が同じ状況にいたら、周りの人や国を恨んでいたのではないかと思うのですが、その方からは恨みや怒りは感じられなくて……。ハンセン病や歴史を知り、次の世代へつないでいってほしいという切実な願いが感じられました。

髙橋:僕は「ハンセン病回復者の家族である」ことが知られて仕事を辞めさせられたり、友人を失いたくないという理由で隠さなければならなかったり、という状況がいまだにあるということに驚きました。

1996年にらい予防法(※)が廃止されてから、もう何年も時間が経っているのに、ハンセン病回復者や家族を取り巻く環境は変わっていません。「多様性社会」と謳われる現代こそ、なんとかしてこの状況を変えたいと思いました。

※ハンセン病(らい病)の患者を強制的に隔離して絶滅させようとした法律。1931年に制定され、1996年に廃止

後輩たちにもハンセン病問題を知り、考えることの大切さを伝えたい

――啓発リーフレットを作成する上で工夫したことや、同世代の人たちに伝えたいことがあれば教えてください。

中村:リーフレットを作成するはじめの段階で、どんなコンセプトで進めるかで激論になりました(笑)。その結果、コンセプトに決まったのが「過去から現在、未来へつなごう」です。

僕たちの世代はコロナ禍を経験しています。新型コロナウイルスが流行し出した頃、感染者は行動を規制され、差別や偏見を受けました。この状況は、ハンセン病への差別や偏見と全く同じだと思うんです。

お話を伺った回復者家族の方も「人間は本当に変わらない」とお話されていました。このことを踏まえて、友人や身近な人たちにも、ハンセン病問題について自分が学んだこと、感じたことを伝えていきたいです。

熊谷:僕が伝えたいのは「他人を思いやる気持ちを持ってほしい」ということです。差別は他人を思いやることができなかったゆえに生まれた過ちです。こうした過去の過ちを反省し、次の世代につなげることで、人間は成長できるのではないかなと思います。

プロジェクトの一環で、付属中学校の中学生にハンセン病問題について話をする中村さん。画像提供:田中佳太

佐藤:ある友人にプロジェクトに参加していることを話したところ、自分自身でハンセン病のことを調べてくれたのは良かったのですが、「ハンセン病って怖いんだね」と言われてしまいました。これは一番抱いてほしくなかった感想というか……。

差別の一歩手前にある言葉だと思ったのです。おそらく、検索した際に後遺症が残っている方の画像などを見て衝撃を受けたのかもしれませんが、私たちが同世代の人に伝えていく中で、相手の理解が「ハンセン病=怖い」で止まってしまわないよう、工夫が必要だと感じています。

――改めて、「第24回ハンセン病問題に関するシンポジウム」参加への意気込みをお聞かせください

髙橋:シンポジウムで発表するリーフレットを作成するに当たって、田中先生から、これはあくまでも「ハンセン病」ではなく、「ハンセン病問題」を啓発するためのリーフレットなのだとお話がありました。

ただハンセン病がもたらしたさまざまな被害を伝えるのではなく、ハンセン病問題から考える差別や偏見など、僕たちがいま生きている社会に生かせるものとして「過去から現在、未来へ」と、話をつないでいけたらと思っています。

中村:僕たちは、シンポジウム参加校の中で唯一ハンセン病回復者のご家族にインタビューしているので、他の学校とはまた違った視点から見聞きしたことを発表ができるのではないかと思っています。

――今回のプロジェクトだけでなく、今後も活動を続けたいという気持ちはありますか?

佐藤:そうですね。近々、近隣の小学校で6年生に向けて啓発の授業を行う予定があります。小学生にはインパクトが強すぎるかも……という心配はありますが、少しずつでもハンセン病について正しく知ってもらうきっかけになればと思いますし、教科書にも正しく記載してほしいなと思います。

中村:田中先生とは、僕たちが学んだことを後輩たちにも継承して、いずれは開智高校の伝統にしていきたいという話もしています。

また、僕は海外の大学を目指しているので、いずれ海外でできた友人と、お互いの国のハンセン病問題について話し合ったり、啓発する機会があればと思います。

ハンセン病問題を教訓に、一人一人に“他者を思う心”を育む

――ここからは田中先生にも話を伺います。改めて今回のプロジェクトの詳細について教えてください。

田中さん(以下、敬称略):先ほど佐藤さんからも紹介がありましたが、国語の授業の中で小説『あん』を生徒たちに読んでもらい、さらに映画作品も教材として使いながら、生徒たちにディスカッションをしてもらいました。

また、よりハンセン病問題に対して理解を深めるために、国立ハンセン病資料館(外部リンク)の学芸員の方に学校までお越しいただき、特別講義を開いていただいたほか、実際に生徒たちと一緒に資料館にも足を運びました。

授業をきっかけに、生徒たちが社会にあるさまざまな問題を“自分ごと”として捉えてもらえたらと話す田中先生

――プロジェクトを実施するに至った経緯と、企画された意図についても教えていただけますか。

田中:以前から、単に教科書に書かれた文章を正確に読み解くだけではなく、今社会にある問題と結びつけた授業をしたいという思いがありました。それによって生徒たち一人一人が、問題を深く考え、自分ごととして捉えたり、新たな問いを見出したりするようになるのではないかという狙いがあります。

そんな時に、たまたま校内の掲示板に貼られていたポスターで「ハンセン病問題に関するシンポジウム」のことを知りました。そのシンポジウムを動画で視聴し、「ハンセン病問題を考えることは高校生にとって意味のあることだ」と考え立ち上げたのが、今回のプロジェクトです。

――先生は、それまでハンセン病問題に対してどのようなイメージをお持ちでしたか?

田中:以前、編集者で著述家の松岡正剛(まつおか・せいごう)さんが編纂された本を読んだことがあり、ハンセン病が「人類の歴史の中で最も長く続く差別問題を生み出した」ということは知っていました。

また、私が大学生の時に先生から言われた「日本は見たくないものにフタをする社会だ」という言葉もずっと残っていて。生徒たちには普段見えていないものを、ちゃんと向き合うことを伝えたいという思いがありました。

髙橋さん(真ん中)、中村さん(右)、熊谷さん(左)が、付属中学校の中学生たちにハンセン病の歴史について伝える様子。
画像提供:田中佳太

――プロジェクトを経て、生徒の皆さんの様子に変化はありましたか?

田中:今社会で起きているさまざまなことを、普段とは少し違った視点から見られるようになったんじゃないかな、と思います。

物事を弱い人の立場になって考えられるようになったり、シンポジウムで伝えようとしていることについても、「ハンセン病回復者の方が自分たちの発表を聞いたときに、どう感じるだろう」と想像したり……。これはとても大きな変化ではないでしょうか。

――令和のいま、若者がハンセン病問題を学ぶについて、どんなふうに考えていますか?

田中:ハンセン病回復者の方が年々高齢になり、歴史から見えなくなっていく中で、国や人たちが行ってきた事実をきちんと知っておくべきだと思います。

学校や日々の生活の中にも、些細なことで「あの人は自分たちとは違う」と線引きをしてしまうのはよくあることだと思います。これは社会全体で見れば分断や差別につながります。

そんなときに、自分だったらどう行動するかを考える力になる。ハンセン病問題は、現代を生きる私たちにとって大切な教訓と言えるのではないでしょうか。

――最後に。今後も、生徒さんたちとハンセン病問題について考える機会を持ちたいと思われますか?

田中:そうですね。私たちの学校では生徒たちが自分たちで興味のある分野を調べ、社会課題の解決を目指す探究学習に力を入れています。

先ほど、中村さんも話していましたが、2025年以降はハンセン病を探究テーマの一つに位置付け、啓発活動も含めて次の世代にも受け継いでいけるよう、企画しています。

編集後記

取材中にも話が出てきましたが、2016年に国の間違った対策によって差別や偏見を受けたハンセン病元患者の家族561名が、熊本地方裁判所(以下、熊本地裁)に提訴し「ハンセン病家族訴訟」を起こしました。

2019年に熊本地裁は国に責任があると判決を下し、賠償金の支払いを命じます。政府は判決に控訴せず、謝罪と補償、啓発活動の強化を約束しました。

しかしながら、実名で裁判に参加した人はごくわずかで、いまだ賠償金請求を行っていない回復者家族もいるといいます。

知人から「わたしの家族は、ハンセン病回復者です」と言われたときに、自分はどんな反応をするだろうかと考えさせられた取材でした。ハンセン病回復者もその家族も、何も隠すことなく堂々と生きていくことができる社会を実現するためにも、啓発活動を継続することの大切さを改めて感じます。

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