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離島で暮らす医療的ケア児とその家族を支える在宅/訪問看護師たち。子育てに必要なのは「共助」

沖縄県最北端の離島・伊平屋島で暮らす伊礼さん親子(真ん中)と「在宅看護センターはなはな」の看護師たち(両側)

取材:ささへるジャーナル編集部

全国に約2万人。これは日常的にたんの吸引や、鼻のチューブからの栄養注入、人工呼吸器といった医療的ケアが必要な子ども(以下:医療的ケア児)の数です(2021年時点)。

在宅医療的ケア児の推計値(0〜19歳)を示す折線グラフ:
2005年/9,987人
2006年/9,967人
2007年/8,438人 
2008年/10,413人 
2009年/13,968人 
2010年/10,702人
2011年/14,886人 
2012年/13,585人 
2013年/15,892人 
2014年/16,575人
2015年/17,209人 
2016年/18,272人 
2017年/18,951人 
2018年/19,712人 
2019年/20,155人 
2020年/19,238人 
2021年/20,180人
在宅の医療的ケア児数の推計値。出典:厚生労働省「医療的ケア児について」

多くの医療的ケア児は医療資源が整った地域で、訪問看護や介護などを受けながら在宅で暮らしています。ですが、医療資源が少ない地域で生まれた医療的ケア児は、家族と共に移住せざるを得ないケースが多いのが現状です。

できることなら生まれ育った地で子どもを育て、家族全員で暮らしたい。そんな医療的ケア児と家族が抱える思いに応えるべく奮闘しているのが、沖縄県・今帰仁村(なきじんそん)に事業所を構える日本財団在宅看護センター「はなはな」の看護師の皆さんです。「はなはな」では、2022年から沖縄最北端の離島、伊平屋島(いへやじま)で暮らす2人の医療的ケア児の訪問看護を行っています。

伊平屋島の位置を示した沖縄諸島の地図
伊平屋島は沖縄最北端の離島。運天港からはフェリーで約1時間20分かかる

代表の儀間真由美(ぎま・まゆみ)さんは、地域の健康を護ることを目的に笹川保健財団が実施する「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」(別タブで開く)の研修を受けた看護師の一人。彼女は現在、「医療ニーズが高くても慣れ親しんだ地域と家で、暮らしたい」と望む人に向けて、1つの事業所で医療処置も含めた多様なサービス(訪問看護、訪問介護、通い、泊まり)を受けられる「看護小規模多機能型居宅介護(看多機)」の開設にも力を入れています。

今回は、在宅看護センター「はなはな」の看護師、儀間さんと加藤さんの伊平屋島訪問に同行。医療資源が少ない地域で医療的ケア児を育てる家族が抱える問題や、離島での暮らしの現状、障害の有無にかかわらず誰もが住み慣れた地で暮らせる社会づくりに必要な取り組みについて、お話を伺いました。

今帰仁村の運天港(うんてんこう)から、フェリーで伊平屋島まで向かう儀間さん(写真手前)と加藤さん(写真奥)。
月に2回ほど1泊2日かけて島へ訪問している

住み慣れた土地で暮らしたい。利用者と家族の思いを叶えるため

――はじめに、医療資源が少ない地域で医療的ケア児を育てるにあたり、そのご家族はどのような問題を抱えていますか?

儀間さん(以下、敬称略):子どもについて聞きたいことがあっても、尋ねる人がいないこと、具合が悪くなったときにすぐに対応できないことが大きいですね。特に伊平屋島の場合は、診療所に医師や看護師はいるものの、大きな病院のように医療資源が十分あるわけではないので、子どもの体調に異変があったときはフェリーで沖縄本島まで移動することになります。

また、台風や豪雨による停電で自宅の医療機器が使えなくなりそうな場合は、非常用発電機の準備や大きな影響が予測される場合は数日前から医療資源が整っている本島の病院まで移動してレスパイト入院(※)するなど、あらかじめリスクを予測して行動する必要があります。

医療的ケア児の場合、用意するものや移動時に留意する点が多いため、子どもとご家族の負担は大きくなると考えられます。

※地域で在宅介護・医療を受けている方を対象とした目的とした短期入院のこと。ご家族や介護者の休養目的としても利用される

「はなはな」の代表理事を務めながら、看護師として離島の人たちと関わる儀間さん

――不安を吐露できない点について、在宅看護センター「はなはな」さんの定期的な訪問は、離島に住む利用者や家族の人たちにとって心強いですね。そもそも儀間さんが訪問看護に関心を持ち始めたきっかけは何だったのでしょうか?

儀間:もともと私は、今帰仁村の病院で緩和ケア認定看護師として働いていました。患者さんから「病院ではなくて家で療養生活を送りたい」という声をよく耳にするうちに、「何とかこの思いを叶えたい」という思いが強くなり、当時の院長と共に同病院に訪問診療・訪問看護事業を立ち上げたんです。

ただその事業で可能だったのは、同病院から指示書が発行された利用者への訪問のみで、他の病院からの指示書では訪問ができませんでした。次第に、自分で訪問看護事業を立ち上げれば、より多くの人に訪問看護を利用してもらえるのではないかと考え、開設の決心を固めました。

――笹川保健財団が実施する在宅看護センターを起業・運営するための人材育成プログラムに参加されたのは、そういった強い思いからだったんですね。

儀間:そうなんです。私自身、経営者としての知識や経験がゼロだったので、起業に関しては不安の方が大きかったんです。

人材育成プログラムに参加してからも何度も「私が経営者になっていいのかな」と思う瞬間はありましたが、同じ志を持った仲間と一緒に学びを深めるうちに経営者としての覚悟が身につき、今帰仁村で「はなはな」を立ち上げるまでに至りました。

――今帰仁村に「はなはな」を開設した理由は何でしょうか?

儀間:学生時代から沖縄が好きで、今帰仁村には特に愛着があったからです。もともと福岡に住んでいたのですが、旅行で沖縄へ訪れる度に人として成長できている実感があったので、看護師3年目の頃に「ここで看護師として働こう」と決めて移住したんです。

また今帰仁村(やんばる)は沖縄本島の中でも医療資源が少ない地域ですから、そういう場所にこそ訪問看護が必要ではないかと考えました。

もう一つ大きな理由は、今帰仁村が看多機の開設に前向きな意向があったからです。訪問看護は看多機を見据えての基盤づくりと考えていました。

多職種との連携と綿密な計画により、医療的ケア児とその家族の帰島を実現

――現在、伊平屋島には2世帯の医療的ケア児とそのご家族が暮らしていると伺っています。出産を経て病院から帰島するにあたり、注力したことはありますか?

儀間:まず、病院でご両親が医療的ケアの指導を受け、退院してから帰島するまでに一度、名護市(沖縄県)のアパートにご家族で住まれ、日常の過ごし方や子どもに異変が起きたときの対応などを実践していただきました。在宅でご両親に医療的ケアの手技を実践してもらうことで、これから始まる島での生活への不安を少しでも減らしたいというのが目的でした。

また今回の帰島には、保健師や相談支援員、ヘルパー、伊平屋島の役所に勤める方など、さまざまな職種の人が関わってくださっています。相互に密な連携を取りながら、帰島に関する会議やシミュレーションを何度も重ねました。その結果、考えられるリスクを減らしていくことができ、実現することができました。

訪問したご家族の自宅にある呼吸器やモニター
食事もサポートする

――実際に訓練を受けたご家族とは、どのように関わっていたのでしょうか?

儀間:当然のことですが、最初はご家族皆さん「本当に自分たちにできるのだろうか」と不安を抱きながら指導を受けられていました。自分の子どもに医療的ケアを行うわけですから、怖くなるのは至極当然のことなんです。

でも私たちの手技を見てもらいながら回数をこなしていくうちに、だんだんと慣れていくんです。子どもの体調に変化があった時も、ある程度のことは客観的に評価をして冷静に対処できるようにもなっていきましたし、帰島した後も、分からないことは定期訪問の際に具体的に聞いてくださるようにもなりました。そういった瞬間を見ると、子どもと一緒にご家族も成長しているんだなと感じますね。

住み慣れた島で我が子と暮らしたい。医療的ケア児の家族が抱く思い

今回、伊平屋島で暮らす、医療的ケアを必要とする伊礼快翔(いれい・かいと)くんの母・知子(ともこ)さんにもお話を伺いました。2022年に出産後、伊平屋島への帰島を決意し2024年11月で2年が経とうとしています(2024年11月取材時)。

伊平屋島で暮らす快翔くん、2歳。ミニカーで遊ぶのが大好き

――どのようなことがきっかけで、伊平屋島への帰島を決意したのでしょうか?

伊礼さん(以下、敬称略):もともと快翔と、小学校5年生になる娘、夫婦のためにも住み慣れた伊平屋島で生活したいという気持ちはあったんです。一方で、医療資源が少ない島で快翔は生活できるのかという不安もありましたね。

そんなとき、快翔が生まれた時からお世話になっている沖縄県立南部医療センター・ こども医療センターの医師から「気管切開をすれば、島に帰れる」というお話があったんです。そのときから「よし!気管切開をしてもらって島にとりあえず1回連れて帰ろう!」と決めました。

儀間さんとは、快翔が在宅に移行する際、院内の医療コーディネーターさんに紹介してもらって知り合うことができました。

儀間さんたちの訪問にいつも力をもらっていると語る、伊礼さん

――帰島してから2年が経ち、いろいろなことがあったかと思います。

伊礼:そうですね。事前に医療的ケアや機器の使い方の指導を受けて、たくさん練習も積んでから臨んだものの、実際の生活は想像以上に大変で、とにかく毎日必死でした。正直最初の頃の記憶があまりないんです……。不安もあげればキリがありません。

でもそんな毎日に、いつも優しく明るく寄り添ってくれたのが儀間さんや加藤さんをはじめとする「はなはな」の皆さんでした。彼女たちのことを、私は勝手に「快翔のママさんズ」と呼んでいるのですが、そう呼びたくなるほど快翔の成長を息子のように見守り、喜び、応援してくれています。

他にも島の保健師さんやボランティアの方がちょくちょく様子を見に来て、些細な相談に乗ってくださるので、不安も少なく暮らせています。信頼できる人が周りにいるからこそ、家族全員、島で元気に暮らせているのだなと実感しています。

快翔くんの食事について儀間さん(右端)や加藤さん(真ん中)に相談する伊礼さん

――今後も続く伊平屋島での生活。こうなると嬉しいなと思うことはありますか?

伊礼:やはり小さい島なので、何かあったときに手伝ってもらえる人が限られてしまいます。そういう意味では、医療的な分野も含めてもっといろんな人が私たちに関わっていただけると嬉しいですね。

もちろん医療的なケアに携われる人は限られますが、例えば息子の様子を見に遊びにきてくれる人が増えるだけでも彼は嬉しいですし、同時に何か聞きたいことがあれば聞いてもらえると私自身の気づきや学びにつながることがあるんです。

私も快翔も人が好きなので、多くの人と関わりを持ちながら成長を楽しんでいきたいです。

共助の力が医療的ケア児の暮らしを豊かにする

――この記事を読んで、住み慣れた地で医療的ケアを受けながら暮らしたいと思う当事者の方も出てくるかと思います。その思いを実現するために社会全体で取り組めることは何だと思いますか?

加藤:何か問題があったときに、それぞれが持てる知識や技術を駆使して、支え合える環境をつくることが重要だと思います。もちろん医療の分野は、医師や看護師の資格がなければできないことはあります。だからといって全て任せるのではなく、それぞれができることを探して問題に取り組めるような、地域づくりを進めることが重要ではないでしょうか。

これからの日本はより助け合い、共助の力が必要になってくると考えています。

快翔くんのたんを吸引する加藤さん

儀間:そうですね。例えば、伊平屋島には消防署がないので、島民が消防団を結成して災害に備えています。医療分野も同様に、保育士や、介護施設や事業所で働いている介護職員であれば「喀痰吸引(かくたんきゅういん)等研修(第3号研修)※1」を受けることができ、たんの吸引が必要な利用者への医療的処置が可能になります。

一般の人でも、応急手当の知識と技術を習得するための「普通救命講習Ⅰ」(※2)が受けられますから、そういった資格を取得できることをより多くの人に知ってもらうことも大事でしょう。

※1.重度障害者や高齢者などの特定の利用者に対して、喀痰吸引等の医療行為を実施できる介護職員を養成するための研修

※2.心肺蘇生法やAED(自動体外式除細動器)の使い方など、主に成人を対象にした救命処置のほか、気道異物除去や止血法などの応急手当について学ぶ講習

――儀間さんが進めている「看護小規模多機能型居宅介護(通称、看多機)」の開設も、医療資源が少ない地域が取り組めることの1つになりそうですね。

儀間:看多機は、1つの事業所で退院後の在宅生活への移行や、家族に対するレスパイト対応(※)、デイサービス、ショートステイ、訪問看護、訪問介護を提供する複合型サービスなので、医療資源が少ない地域に住む、医療依存度が高い人たちの生活を総合的に支えることができます。

今帰仁村の他にも、医療ニーズを有する人は多くいるはずですから、全国的にどんどん増えていくと嬉しいですね。

※介護や医療を受けている本人や家族、介護者が一時的に休息や息抜きを取れるサービスや入院のこと

快翔くん(左)と遊ぶ儀間さん

――最後に。医療資源が少ない地域の問題を解決し、一人でも多くの人が住み慣れた地域で暮らせるようにするために、一人ひとりができることはありますか?

加藤:看護師資格を持っているのであれば、解決に向かって足りないことは何かを把握し、行動することが大切ではないでしょうか。

例えば、医療的ケア児に関わる機会がなく不安であれば、次の異動先は小児科を選択してみる。在宅看護について学びを得たい場合は、思い切って職場を訪問看護ステーションに変えてみる。少しずつ知識や技術が身についてきたら、積極的に実際に離島や少数地域の役場を訪問して情報を得るなど、問題解決に向けたアプローチの仕方はたくさんあると思います。

儀間:加藤さんが言うように、看護師にとっていろんな場面の看護を知っておくことはとても大切です。看護師歴が浅く、医療資源が少ない地域で訪問看護が務まるのかどうか不安を抱えているのであれば、いま目の前の仕事を一つひとつ丁寧に行なって、キャリアを積み上げてみてはどうでしょう。この問題に携わるのは、それからでも決して遅くないと思います。

医療従事者以外の人であればまずはこの問題についてネットなどで調べて知見を深めてみてください。その上でこの問題について家族や友人と話し合ったり、SNSで記事を紹介したりすることから始めてみてはいかがでしょうか。

編集後記

全国の「日本財団在宅看護センター」からは、「看護師が社会を変える」をモットーに、看護師が地域社会とつながっている例が多く報告されています。

「大変なことは多いけど、やっぱり家族で住みたい場所に住めること以上に嬉しいことはないです!」と語ってくださった知子さんの言葉と笑顔に、離島の医療環境における在宅看護師が担う役割の幅広さと重要性に改めて気付かされました。

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