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口の中の状態で予後が分かる? 終末期がん患者を口腔から支える口腔外科医の挑戦

下郷麻衣子先生(左)、患者さんとそのご家族。画像提供:下郷麻衣子

取材:ささへるジャーナル編集部

終末期であっても、口の中を清潔に保ち、会話や食事を楽しむためには、口腔ケアが欠かせません。口の中を不潔にすると、カビが生えたり、誤って細菌を吸い込んで肺炎を起こしたりするなど、患者さんの健康に影響を及ぼすことがあります。

さらに、食事の量が極端に減ると(例えば、一日に数口しか食べない場合)、口の機能が低下し、口の中が乾燥して動きにくくなり、薬が飲み込みにくくなったり、水を飲むときにむせやすくなったりすることで、日常生活に支障をきたすことがあります。

特に終末期のがん患者さんでは、余命1~2カ月の期間に体の機能が急速に衰えますが、そのあたりから徐々に口腔状態にも変化がみられるようになります。重度の口の乾燥やカンジダ症(口の中のカビ症状)、口内炎、歯の衛生不良などの口腔問題がよく見られます。これらは、生命の予後を示している可能性があると考えられます。

それらの関係性を研究しているのが、京都医療センター歯科口腔外科に勤める下郷麻衣子(しもさと・まいこ)医師です。下郷先生は笹川保健財団からの研究助成(外部リンク)を受けながら「人生の最終段階における口腔ケアの質と効果向上」をテーマに研究を進めています。

今回は、下郷先生に本研究の内容や、口腔内を観察・ケアすることの重要性、一人でも多くの患者が最期まで自分らしく生をまっとうするために、医療従事者が取り組めることについてお話を伺います。

終末期がん患者にとっての口腔ケアの大切さについて話をしてくれた下郷先生。撮影:永西永実

口腔内から患者の予後を確立し、口腔ケアの質を上げたい

――下郷先生はどのような経緯で、終末期がん患者さんの口腔ケアに関する研究を始めようと思ったのでしょうか。

下郷さん(以下、敬称略):きっかけは、緩和ケア病棟に入院する患者さんに関わったときでした。患者さんの口腔内を見ると、とてもひどい口腔衛生状態だったんです。最初は「私が口腔ケアすることで少しでも患者さんを快適にでき、喜ばれるのであれば」という思いから、口腔ケアに取り組んでいました。

実際に、患者さんは、「ありがとう」と喜んでくれます。しかし、どんなに熱心に口腔ケアをしても、全身の衰弱とともに、口腔乾燥は悪化し、カビが生えたり、口内炎ができたりしました。そのうちに、そうなっていく患者さんは死期が近いのだろう、おそらくあと1~2週間ぐらい……という仮説が生まれました。

通常の方では、1~2週間という短期間で口腔内にカビが生え、重度に乾燥し、さらにカビが消えるなどの変化が起こることはありません。しかし、亡くなる前のがん患者さんには、このような特有の傾向が見られました。

当時はまだ仮説の段階で、根拠に基づいた判断はできなかったのですが、口腔内を見ることで終末期がん患者の1~2週間の予後予測ができる可能性には高いニーズがあると考えました。この仮説を証明しようと決意し、笹川保健財団の研究助成に応募しました。

――終末期がん患者の口腔内は、乾燥やカビが生えていることが多いのでしょうか?

下郷:終末期がん患者さんにおいて、特に多く見られるのは口腔乾燥と口腔カンジダです。口腔カンジダは免疫力の著しく低下した患者さんによく見られ、終末期のがん患者さんでは比較的一般的な症状です。

最も頻繁に観察されるのは「かわき」です。これは渇きではなく、粘膜が必要な湿潤を保てない状態のことを指します。これには「主観的なかわき(患者さんが訴える口のかわき)」と「客観的なかわき(口腔乾燥所見:粘膜表面の水分量の減少)」がありますが、私の研究では客観的なかわきに焦点を当てています。

終末期がん患者では、舌の湿潤度が失われる傾向にあります。ただ、頬の粘膜では最後まで湿潤度が保たれることが多いので、どの部位を診るかが重要になります。

舌の湿潤度と、頬粘膜の湿潤度の比較。頬粘膜の湿潤度は7日間経過しても一定を保つ一方で、舌の湿潤度は低下していく
舌の湿潤度は予後が短くなると低下する傾向に。画像提供:下郷麻衣子

下郷:また、口内炎が発生していることも時々見かけます。口内炎は、重症の場合は出血し、激痛を伴いますので、会話や食事が難しくなる方もいます。患者さんのQOL(※)を低下させる要因となります。

 終末期がん患者の口腔内の様子。画像提供:下郷麻衣子

下郷:ところが、口腔乾燥が重度であっても、終末期がん患者の約30パーセントは、乾きの訴えがありません。「口の中は乾いていますか?」と聞いても「乾いていない」と返答されることがあります。つまり、主観的なかわき(患者が訴える口のかわき)と客観的なかわき(口腔乾燥所見)は、必ずしも一致しないということを知っておく必要があります。

医療者が見て、舌は乾いて話しにくそうにしているが、訴えは無い。カビに関しても同様で、白いカビが口の中に広がっていても、ご本人はあまり気にならないケースが多いんですね。つまり、医療者側が気にかけて声掛けする知識が必要ということです。

※QOLは「Quality of Life」の略で、生活の質を意味する。個人の健康、快適さ、幸福感を含む、生活全般の満足度を指す広範な概念

妥当性のあるツールを用いた、定期評価が重要

――終末期がん患者が、自身の口腔内の乾燥に気付きにくく、むせや会話のしづらさの原因となると、医療者側の観察がより重要になると思います。

下郷:そうですね。そのためにも医療者は、包括的な信頼性と妥当性が検証されたツールで口腔内を評価していただきたいです。

有用なのはOAG(Oral Assessment Guide)を用いた評価でしょう。アメリカの看護師が、がん化学療法患者の口腔内評価用紙として開発したツールで、声、嚥下(えんげ)、口唇、舌、唾液、粘膜、歯肉、歯と義歯の8項目に1~3の3段階で点数を付けていきます。

合計点数が高いほど、口腔内の状態は悪いと判断することができ、項目が細かく分かれているため、部分的な評価も可能です。これを使用することで、個人の感覚による評価のずれは解消できると考えています。

――口腔の評価において、重要なことはありますか?

下郷:まずは、患者さんに初めて会ったら、初回の包括的口腔評価をしておくことです。何かあったら診るのではなく、何も訴えのない場合であっても、評価をしておくべきです。そして、1回の評価で終わらせず、週1回程度、定期評価することが重要でしょう。

先ほどお話したように、終末期がん患者の口腔内は変化しやすいため、入院直後と入院から数週間経った頃では点数が大きく異なる可能性が高いんです。何がどう変わったのかを知るには、比較する必要がありますよね。

実際に、入院前はきれいな口腔内だった患者さんが、数週間後には口腔内がひどく乾燥し、洗面所に行けなくなったケースがありました。口腔内の悪化に気付いてから対処するのではなく、包括的な観察を1週間に1回行い、どこがどのように変化しているのかを医療者全員で共有することが大切です。

――既存のOAGを使って口腔の評価を行うことのメリットは、何が挙げられますか?

下郷:既存の口腔評価ガイド(OAG)を使う最大のメリットは、包括的な評価により、見落としを防ぎつつ、他の医療従事者との意思疎通を容易にすることです。

OAGを使用することで、口腔のどの部位をどのように評価し、重症度を判断するかが明確になり、軽症の段階で早期に問題を発見することが可能になります。これにより、大事に至る前に患者さんへの適切な声掛けとケアが行え、身体的な負担が少ない状態で介入できます。

さらに、看護師もOAGを用いることで評価にかかる時間が短縮され、効率的に適切なケアプランを作成できるようになります。定期的な評価は患者さんにもポジティブな影響を与え、口腔ケアへの積極的な参加を促します。

私の病院では、毎週火曜日に評価を行っており、患者さんが「今日は歯科の先生が来る日ですね。ちゃんと歯磨きをしましたよ」と話してくれることもあります。このような定期的なイベントは、入院中の患者さんが時間感覚を保つのにも役立っています。

口腔評価(OAG)、ケア状態、プランの見直し、口腔からの予後予測など、診察した全症例の報告を行なっている様子。
画像提供:下郷麻衣子

多職種を交えて口腔ケアについて学ぶことが重要

――終末期患者さんの口腔内の観察やケアの重要性を、より多くの医療者に認知してもらうために、下郷先生はどのようなことに取り組まれているのでしょうか?

下郷:現在取り組んでいるのは、参加者実践型の勉強会です。

「講義をしてほしい」というご要望もいただきますが、私が一方的に話す内容を聞いているだけでは、その場では分かったように錯覚してしまいがちで、意外と身につきません。現場イメージもできていません。ですから、勉強会の内容はよりリアルで実践的に、かつ少し頭を使って考えなければいけないようなものにしています。

参加した方からは「学びが深められた」「実際の現場で考えられる内容でとても充実した時間だった」「もっと長時間の勉強会を開いてほしい」といった声をいただいています。

勉強会に参加する看護師。マネキンを使って口腔ケアの実技指導をする様子。提供:下郷麻衣子
勉強会に参加する歯科医師、看護師やケアマネージャー、介護士。
具体的な事例の口腔評価および口腔ケアの立案をグループディスカッションする様子。画像提供:下郷麻衣子

――勉強会にはどのような方が参加されるのでしょうか?

下郷:中心となるのは、看護師です。しかし現代は、療養場所が病院から在宅へと移行しつつある時代なので、看護師の他に、介護士、ケアマネージャーの方にも参加していただくように心掛けています。

実際に他職種を交えた状態で勉強会を開催してみたところ、同じ患者さんのケアをする場合でも、歯科医師、看護師、介護士、ケアマネージャーが考えていることやできることに違いが見られました。お互いの口腔ケアに対する考えや行動の意図が理解し合えていないんです。

そういった認識の違いは、ケアの効率を悪くするだけではなく、患者さんの口腔内を悪化させる要因になりかねません。勉強会を通して、お互いの考えや思考を理解しつつ、正しいケアの方法を学ぶことで、そういった認識のずれを改善していきたいですね。

――さまざまな職種を交えて学べるのは、とてもいい機会ですね。他にも、AIを用いた研究にも取り組んでいると聞いています。

下郷:はい。AIを用いて口腔内を評価できるプログラムの開発を進めています。

先ほど、包括的な評価ツールとしてOAGをお薦めしましたが、口腔ケアに携わる全ての人が完璧に評価できるわけではありません。介護士さんにとっては、口腔内の評価は難易度が高いはずですし、看護師やの場合でも、OAGの評価が分かれる可能性はあります。

そんなとき、患者さんの口の中を撮影し、AIに分析させるだけでOAGの評価がすぐに出てくるプログラムがあれば、誰もが納得する精度の高い評価が可能になり、正しいケアにつながるのではないかと考えています。

――介護福祉士対象の口腔ケアマニュアルの執筆にも取り組まれていますね。下郷先生が介護福祉士に向けたマニュアルを作成する目的は何でしょうか?

下郷:やはり、在宅での療養者が増えていることもあり、医師や看護師だけで終末期がん患者の口腔内を評価、ケアしていくことは難しくなってきています。今後は介護福祉士・介護士さんにも、適切な評価とケアを行なっていただく必要があるでしょう。

ただ、いざケアをすることになっても、これまで経験や感覚に基づいたやり方では、適切なケアとは言えません。現在作成中のマニュアルは、介護福祉士・介護士の方でも、患者さんの状態に合わせて適切に口腔ケア行えるようにするためのものになるはずです。

下郷先生が携わった「介護福祉士のための口腔ケアマニュアル」。画像提供:下郷麻衣子

口腔ケアをより適切に、安全に行える仕組みを作りたい

――今後、口腔ケアに関することで取り組んでみたいことはありますか?

下郷:まずは、OAGで評価した後の口腔ケアのアルゴリズムの作成です。現在、「この状態の場合は、このケアを優先的に行う」といった根拠に基づいたアルゴリズムはありません。ですから、現場では、経験に基づいた口腔ケアが実施されています。

歯科関係者の中には、終末期がん患者に対して、要介護高齢者と同じ勢いで口腔ケアをしてしまう場合もあります。ですので、終末期がん患者に特化したガイドラインの作成が必要です。現在、メンバーで作成中ですが、早ければ2025年には完成すると思います。こうしたガイドラインが1つあるだけでも、ケアの質は変わってくるはずです。

また、口腔内の評価がきちんと保険点数に反映される仕組み作りも大切でしょう。どの仕事でも言えることですが、熱意やボランティア精神だけで続けられる人はほとんどいないはず。保険点数でしっかり加算されることで、医療者側にもより強い責任が生まれるのではと考えています。

今後の取り組みについて熱い思いを語る下郷医師。撮影:永西永実

――勉強会などは、今後も継続していきたいと考えていますか?

下郷:はい、継続していきたいと思っていますし、可能であれば、今後は患者さんのご家族も参加できる市民公開勉強会や、VRを用いた体験型の勉強会なども開催してみたいです。

教育という意味では、歯学部の学生向けの講義もしてみたいですね。現状、私が研究している領域に関わっている歯科医師は非常に少ないです。しかし、緩和医療の重要性が増している今、在宅も含めた終末期がん患者に対する口腔ケアの歯科分野のニーズはますます高まるはずです。

ぜひ教育を通して、緩和領域にも歯科医師の活躍の場があることを知っていただきたいですね。

編集後記

率直に、口腔内の状態で予後が予測できることに驚きました。口腔内を評価し、ケアすることは生活の質を維持するためだけではなく、命の長さを判断する判断材料にもなる。この記事を通して、多くの医療者や患者さん、そのご家族に口腔ケアの重要性が伝わることを願います。

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