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ハンセン病療養所に泊まり、偏見と差別の歴史に触れた3日間。学生たちは何を感じたのか

ハンセン病対策に長年取り組む笹川保健財団で、初めての開催となった学生を対象とした国立ハンセン病療養所宿泊体験ツアー。参加者の心の変化とは?

取材:ささへるジャーナル編集部

長きにわたって国による誤った隔離政策により深刻な人権侵害と偏見・差別を生み出してきたハンセン病問題。その歴史を現地で学ぶ、大学生・大学院生を対象とした宿泊体験ツアー(別タブで開く)が、2025年8月26日から28日までの3日間にわたって、岡山県・瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(外部リンク)で実施されました。

参加した学生たちは、「収容桟橋」や「収容所(回春寮)」「監房跡」などの歴史的建造物を見学。さらにいまも長島愛生園に暮らす回復者(入所者)から強制隔離された当時の話を聞き、園長や学芸員による講義、グループワークなどを通じて、ハンセン病患者や回復者が体験した偏見・差別の歴史を、五感を使って学びました。

学生たちは何を感じ、何を考えたのか。本記事ではツアーの様子とともに、参加者の声を紹介。悲惨な歴史を二度と繰り返さないために、いまを生きる私たちに何ができるかを探ります。

現地を訪れるまで知らなかったこと、新しく発見したこと

今回の宿泊体験ツアーには、全国各地から14名の学生が集まりました。学芸員の案内のもと園内の各施設を見学したほか、入所者の一人であり、長島愛生園入所者自治会事務局長を務める石田雅男(いしだ・まさお)さんによる講話、グループワークなどが行われました。

その参加者の中から、長崎から参加した医大生の羽生瑞紀(はにう・みずき)さん、東京から参加した教育学部に通う岩田有紗(いわた・ありさ)さんに、ツアーを通して感じたことを伺いました。

——このツアーに参加しようと思ったきっかけについて教えてください。

岩田さん(以下、敬称略):私は高校の授業をきっかけにハンセン病問題について知りました。以前から、障害のある方に対する差別や社会的排除の問題に関心があり、その延長線上でハンセン病問題にも興味を持つようになりました。

国立ハンセン病資料館を訪れたり、勉強会に足を運んだりしながら自ら学ぶ中で、このツアーの存在を知り、参加を希望しました。

高校の授業をきっかけにハンセン病を知ったという岩田さん

羽生さん(以下、敬称略):著名な精神科医・神谷美恵子(かみや・みえこ※1)先生の著作『生きがいについて』をきっかけにハンセン病や長島愛生園のことを知りました。そもそもこの本を手に取ったのは、精神的な苦悩を抱えている方に対して、神谷先生が医療者としてどのようなアプローチをしたのか、ヒントを得たかったからなのですが、ハンセン病についても心に残りました。

そしてその数年後、ハンセン病患者であった北条民雄(ほうじょう・たみお※2)さんの小説を読み、患者視点での描写に衝撃を受けました。神谷先生は入所者の方たちのケアに力を尽くしたけれど、完全に患者側の視点に立つことはできなかった。それを知った時に、入所者の方たちに見えていた世界を知りたい、医療者と患者、両方の視点からハンセン病について考えてみたいという思いで参加しました。

羽生さんは精神科医・神谷美恵子さんの本を通してハンセン病問題を知ったという

※1.「神谷美恵子」(1914〜1979年)は、ハンセン病患者の精神的ケアに生涯を捧げた精神科医であり、大学教授であり、著述家。長島愛生園で約15年間にわたり過酷な環境に置かれた精神疾患の患者らに献身的に尽くした

※2.「北条民雄」(1914〜1937年)は小説家で、19歳でハンセン病と診断され、東京都東村山市・全生病院(現・国立療養所多磨全生園)に入院。隔離生活を送りながら創作活動に力を入れる。1936年に発表した『いのちの初夜』は自身の体験に基づく作品で、第2回文學界賞を受賞

——このツアーに参加して、強く感じたことはありますか?

岩田:参加する前は「隔離された島」というイメージだったのですが、思っていたよりも本州との距離が近かった。その分、入所された方々は故郷へ帰ることができそうで帰れないもどかしさや、寂しさを感じたのではないかと想像しました。

羽生:ハンセン病を患い視覚障害を発症した方のために、敷地内の交差点や街角にはスピーカーが設置され、常にラジオや音楽が流れていたり、手に障害を発症した方が使いやすいように考えられたスプーン、やけどしないように二重になったコップ……。隔離された苦しい状況の中でも、園内の随所に生活の工夫を感じ取ることができました。

強制隔離政策が患者にとって恩恵であるとの立場をとった神谷先生を批判する意見もありますが、今回お話を伺った入所者の石田さんは「自分には2度自殺未遂をした経験があり、神谷先生に出会ったことで救われた」とお話しされていました。一概に何がいい、悪いと言えないのではないかと改めて感じています。

羽生さんが持参したハンセン病に関する本にはたくさんの付箋が貼られていた

——ハンセン病問題に対し、新しい発見や考え方の変化はありましたか?

岩田:若さは有利だと感じました。私たちが若いからこそ、こうしたツアーが企画され、たくさんお話も聞かせていただいて……。この機会に、たくさん勉強しておこうと思いました。

羽生:ハンセン病問題については、強制収容やそれを推し進めた人に対する批判もあります。ただ、もしも自分がその時代に生きていたら、それに対して「NO」と言えるだけの倫理感があっただろうかとも考えます。

もしかしたら、自分もハンセン病患者を差別する存在になっていた可能性もあるな、と。そのことに気づけたことも大きな学びだったと思います。

——今回の経験を、今後どのように生かしていきたいですか?

岩田:まだ明確ではありませんが、私は将来、学校の教員を目指しています。ハンセン病問題から学んだことを、「子どもの権利」といった人が生まれながら持っている人間らしく生きる権利を守る教育や行動を伝える場面で役立てられるのではないかと思っています。

羽生:「ハンセン病」そのものにフォーカスするのでなく、ハンセン病を経験した人の生の声を聴き、一人ひとりがどのように向き合ってきたかを知ることが出発点だと思います。その上でこれからどうするかが、自分たちに与えられた宿題だと感じています。

歴史館では、ハンセン病政策や長島愛生園で起きた出来事など数多くの貴重な資料に触れることができる
歴史館には、常設展示室のほか、映像資料の閲覧ができる第一映像室、入所者の作品を展示するギャラリーがあり、企画展示なども定期的に行われている

療養所があってよかった——メディアでは伝えられない入所者の生の声

宿泊体験ツアーでグループワークを担当した長島愛生園歴史館の学芸課長・田村朋久(たむら・ともひさ)さんにもお話を伺います。

——長島愛生園の入所者の方々は、現在どのような暮らしを送っているのでしょうか。

田村さん(以下、敬称略):平均年齢89歳(2025年8月時点)を迎え、その6割以上の方が認知症など年齢に伴うさまざまな病気を患っておられます。お元気な方は、午前中は園内の病院で診察を受け、午後は趣味などに費やしている方が多いようですね。

看護や介護の面では、一般的な高齢者施設より手厚いサービスを提供できているのではと思います。

田村さんは、歴史館の立ち上げにも携わっているという

——入所者の皆さんの高齢化以外にも、いまと昔で変化したことはありますか?

田村:ご自身の体験を伝えてくださる「語り部※」が大幅に減少しています。私が長島愛生園に入職した2001年には約20名の方が語り部として活動されていたのですが、現在は2名になってしまいました。

人前で語るには経験や技術も必要であり、これから入所されている方の中から新たな語り部を育成するのは現実的に難しい状況です。これは、ハンセン病問題の歴史を後世へつないでいく上で大きな課題の1つだと感じています。

※「語り部」とは、昔話、歴史、災害・事件の教訓など、古くから語り継がれてきた物語や経験を、現代に伝えていく人のこと

——グループワークではどんな内容を展開されたのでしょうか?

田村:さまざまなメディアで「入所者の声」が取り上げられる際、多くは国の政策に対する批判や「差別を受けて辛かった」という内容が多いかと思います。ところが、長島愛生園の入所者の約半数からは「療養所に来られてよかった」という声も寄せられているんです。

私たちが撮りためた証言映像集には、「療養所があったからこそ、自分たちは生き長らえることができた」「社会における差別の中では、自分たちはとっくに命を落としていたであろう」と語る入所者の声も残されています。

グループワークでは、この映像を見て、入所者の方々がここでどのような生涯を過ごしていたのかを話し合ってもらいました。

歴史館に展示された、昭和30年代の長島愛生園を再現した模型。職員と入所者の生活区域が厳しく分けられていることがわかる

——ハンセン病に限らず、偏見や差別のない社会を実現するために、どのような取り組みが必要だと思いますか? また、今を生きる私たち一人ひとりにできることはありますか。

田村:やはりまずは「関心を持つ」こと。そして「理解を深めていく」こと。「人権感覚」というと少し堅苦しく聞こえるかもしれませんが、自分の言葉が相手を傷つけていないか、そういった視点や思いやりの心を持つことができるようになると、社会は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

それでも、完全に差別や偏見がなくなることは難しいでしょう。新型コロナウイルスが流行した際にも差別が生まれたように、これから先も社会の不安が高まるたびに同じようなことが繰り返されるのだと思います。

でも、それでも、差別や偏見をなくすための努力をし続けなくてはならないと思います。

その点で、療養所には大きな意味があります。建物をはじめ、病気を経験した人の証言など貴重な資料が残っており、過去の過ちを伝える上でとても重要な存在です。こうした資料をもとにハンセン病について伝え続けることで、結果として他の課題にも意識が向けやすくなればと思います。

長島愛生園の北側の浜に、収容される人びとのためにつくられた「収容桟橋」の残骸が。この橋は、入所者にとって長い間社会や家族との別離を象徴するものだった
長島愛生園に収容された患者が最初に入る「回春寮」。ここではさまざまな検査を受け、消毒風呂に入れられるなど、手続きをする間、1週間ほど過ごさなければならなかった

偏見・差別に関わるさまざまな問題に目を向けてほしい

最後に、今回の宿泊体験ツアーを企画した笹川保健財団の釜井大資(かまい・だいすけ)さんにもお話を伺いました。

——改めて、長島愛生園での宿泊体験ツアーを企画した背景や目的について教えてください。

釜井さん(以下、敬称略):全国のハンセン病療養所に入所されている方々の平均年齢は現在88.8歳(※)。年々人数は減少しており、入所者の方から直接実体験について話を聞ける機会は残り少ないと考えています。

また、若い世代の人たちの主な情報収集手段がインターネットになっている中、目にする情報だけでは分らない現場のリアル感、この場所で苦難の歴史を生きてきた人たちがいることを感じていただきたいという思いから企画しました。

今回のツアーを企画し、グループワークも担当した釜井大資さん

※2025年5月1日現在、全国13カ所の国立ハンセン病療養所の入所者数は639人、平均年齢は88.8歳。(厚生労働省の調査による)

——参加した学生さんたちの反応や反響はいかがですか?

釜井:まず、前提として長島愛生園の入所者は、この場所を人権学習の場として残してほしいという思いがあります。2日目に学芸員の案内のもと、3時間かけて敷地内に残る歴史的建造物を巡るフィールドワークを行ったのですが、この辺りから皆さんに変化があったように感じます。

その後に行ったグループワークでは、このことを前提に「○○が欠けたら長島愛生園は残らない」をテーマに、○○に当てはまるものを考えてもらいました。さらに、その「○○がなくならないためにはどうすればよいか」、方法論を考え、最後に発表してもらいました。

その中で、建物や記録物といった具体的なものだけでなく、それらがつくられた背景や役割などを解説する学芸員、歴史保存に携わる人、さらに関心を持つ人たちとのネットワークづくりの重要性を上げる声などがあり、グループワークを行うまでのわずか1日半でここまで深く学び、自分たちにできることを考える姿に、ツアーを組んだ意義に対する手応えを感じました。

逃走を試みた人が収監された「監房跡」。現在は埋め立てられ壁だけが残されている
敷地内に設置された「納骨堂」には3,700柱を超える遺骨が眠っている。ハンセン病に対する偏見や差別は家族にまでおよび、遺族が遺骨を引き取ることさえ難しかった

——改めて宿泊体験ツアーを実施することの意義について教えてください。

釜井:ハンセン病問題を理解してほしいということ以上に、ハンセン病問題を入り口にして、偏見や差別、不平等といったさまざまな社会課題に目を向けてほしいと考えています。

今回のツアーには医療従事者の方も参加されていて、中には精神障害の方と現在も関わりを持っている方もいました。その方は、療養所における入所者の処遇の話を聞き、自分が今関わっている現場と重なる部分があり、考えさせられたと話していました。

こうした気づきがあり、他の事例と重ねて考えられることも、この宿泊体験ツアーの意義だと思います。

敷地内の高台に設置された「恵の鐘」。入所者はこの場所で飲まず食わずの命がけの抗議をし「恵の鐘」を鳴らして生活改善を訴えたという

——今回の学びをどんな風に生かしてほしいと考えていますか?

釜井:学生の皆さんのSNSでの発信力に期待しています。短いひと言でも構いません。「ハンセン病」という言葉自体を知らない人はまだまだ多いので、まずはその言葉や、ここで見たことや聞いたこと、感じたことを発信するだけでも大きな意味があると思います。

編集後記

長島愛生園の入所者の約半数が「療養所があってよかった」と語っているということを初めて知り、驚きを隠せませんでした。入所者の1人で、海外でも高く評価された画家の清志初男(きよし・はつお)さんは、生前「この場所があったから、自分の好きな絵を売らずに済んだ」と語っていたそうです。

「ハンセン病問題」と聞くと、偏見や差別、国による強制隔離政策など苦しみ、辛さばかりを思い浮かべます。もちろん、それはなかったことにはできない現実です。しかし、長島愛生園には療養所に救われたと感じている人も確かにいました。

100人いれば100通りの感じ方、それぞれの人生がある。そのことに改めて気づかされた取材でした。

撮影:永西永実