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ハンセン病問題は“過去”のものではない——高校生が向き合う、私たちの社会に残る差別

写真左から「ハンセン病問題に関するシンポジウム」に参加する工藤美來さん、小野杏菜さん、上松咲愛さん

取材:ささへるジャーナル編集部

「ハンセン病の問題は、もう過去の出来事」、そう思っている人はいませんか?

日本では長い間、誤った知識や恐怖心によって、ハンセン病患者や元患者、その家族にまで深刻な偏見や差別が続いてきました。1996年に「らい予防法(※)」が廃止され、国の責任が認められた今もなお、無理解や沈黙の中で、その記憶は風化しつつあります。

こうした問題と向き合うため、2005年から毎年開催されてきたのが「ハンセン病問題に関するシンポジウム」(別タブで開く)。25回目となる2026年は、2月23日に仙台市で現地開催とライブ配信のハイブリッド形式で行われます。

当日は、高校生・大学生による発表をはじめ、学校教育の現場での取り組みやハンセン病回復者による語りなど、多様な立場から「今も残る偏見や差別とどう向き合い、未来のために何ができるのか」が問いかけられます。

今回は、当日登壇予定の宮城県仙台第二高等学校の生徒、上松咲愛(うえまつ・さら)さん、小野杏菜(おの・あんな)さん、工藤美來(くどう・みく)さんの3人にインタビュー。発表に向けて取り組む過程で感じた葛藤や気づき、そして今を生きる私たちに伝えたい思いを聞きました。

ハンセン病問題を「特別な人の話」で終わらせないために。私たち一人ひとりに、何ができるのか。そのヒントを探ります。

※「らい予防法」とは、らい病(ハンセン病)の患者を強制的に隔離して絶滅させようとした法律。1931年に『癩(らい)予防法』が制定され、1953年に『らい予防法』に改正、1996年に廃止

医師を目指す高校生が知った、いまも続くハンセン病問題

――シンポジウムへの参加が決まる前、ハンセン病問題についてどれくらい知っていましたか?

上松:「ハンセン病」という病気の名前は知っていましたが、差別や人権に関わる問題があったことはまったく知らなくて……。シンポジウムへの参加が深く学ぶきっかけになりました。

小野:私も同じで、教科書で少し触れられていたような記憶がありますが、「過去の問題」と思っていて。いまも続く問題で、現在も療養所に入所されている方がいることなどは知りませんでした。

工藤:私はもっとあいまいで、病気の存在は知っていたものの、ハンセン病問題がどんなものだったのか、国がどう関わっていたのか、人権侵害があったことも含めて何も知らない状態からのスタートでした。

――どのような経緯で、シンポジウムに参加することになったのですか。

小野:私たち3人は医師を目指していて、校内の医学部志望の生徒が参加する「医進会」というプログラムに所属しています。そこで先生から、今回のシンポジウムについて案内をいただきました。

以前からずっと倫理観について深く学びたいと考えていたことと、差別問題とどう向き合うかを学べたらと思って、仲の良い友人でもある2人に声をかけ、一緒に参加することになりました。

小野さん(左)の誘いをきっかけに、今回の参加が決まった

――上松さん、工藤さんは、小野さんに声をかけられて、どんなお気持ちでしたか?

上松:即答で「やりたい!」と返事をしました。特に私は、登壇準備の過程の中に「取材」という言葉を見て興味を持ったのが最初です。

これまでは講義を受けるなど常に「聞く側」だったので、自分たちで取材をして、発表の場に立つという経験が初めてだったこともあり、ぜひ挑戦してみたいと思いました。

工藤:私はもっと単純で、ハンセン病問題について何も知らなかったからこそ、「知りたい」という好奇心に近い気持ちが一番の動機でした。

日本人として、こうした差別問題があり人権侵害が起きていたという事実は、きちんと知っておきたいと思って参加を決めました。

――参加が決まったとき、ご家族からはどのような反応が?

工藤:両親は、ハンセン病についてほとんど知識がなくて、「学んだことを私たちにも教えてね」とお願いされました。

一方で、祖父に話したところ、アフガニスタンで医療活動をしていた医師・中村哲(なかむら・てつ)さんの本を送ってくれました。祖父は、偏見や差別を持つことを強く嫌う人で、「歴史を繰り返さないためにも、きちんと学んでほしい」と言われたのが印象に残っています。

小野:私の両親も、詳しい知識があるわけではありませんでしたが、「そうしたテーマに積極的に向き合うのはいいことだね」と背中を押してくれました。自分が学んだことを通して、両親が知らなかったことも伝えていけたらいいなと思っています。

上松:私の場合も、祖父が反応してくれました。「ハンセン病」という言葉にはあまりなじみがなかったようですが、かつて「らい病」と呼ばれていた病気として当時の状況や差別があったことをよく知っていて、プログラムが始まる前にはたくさんのことを教えてくれました。

心に強く残るハンセン病回復者・佐藤(さとう)さんの体験談

――発表に向けて、どんな取り組みをされてきたのでしょうか。

小野:まず、国立ハンセン病資料館主催のハンセン病問題について学ぶオンラインセミナーに参加し、基礎的な知識を学びました。その後、青森市にある国立療養所・松丘保養園を訪れ、回復者の方に直接お話を伺いました。

さらに、宮城県登米市にある国立療養所・東北新生園では、園内の見学や、医療従事者の方からお話を聞く機会がありました。

現在は、こうした学びを踏まえて、もう一つの参加校である埼玉県の開智高校の生徒の皆さんと一緒に、リーフレットの制作に取り組んでいます。取材の記録や写真に加えて、私たちが伝えたいことなどをまとめているところです。

ハンセン病回復者の話を聞きに、国立療養所・松丘保養園を訪れた時の様子
松丘保養園の納骨堂にて。学芸員の説明に耳を傾ける上松さん、小野さん、工藤さん

――取材をされる中で、特に印象に残っていることや、心に残っていることはありますか?

上松:松丘保養園で取材した回復者、佐藤さんのお話が特に印象に残っています。なかでも衝撃的だったのが、家族との関係についてでした。佐藤さんはハンセン病を理由に、妹さんとの関係が壊れてしまい、長い間交流が取れない状態だったそうです。

その後、国の隔離政策が誤りだったことや、ハンセン病をめぐる差別問題が裁判や報道を通して広く知られるようになりました。1996年に「らい予防法」が廃止された頃から、少しずつ関係が回復していったと話されていました。

ハンセン病が家族との関係にまで大きな影響を及ぼしていたことは、想像していなかったので、とても衝撃を受けましたね。

小野:私も、佐藤さんのお話がとても印象に残っています。佐藤さんのお父さんもハンセン病を患っていて、ご自宅で亡くなられたそうです。

通常であれば火葬されるはずですが、ハンセン病患者であるという理由から、それが認められず、土葬をすることになったと聞きました。さらに、土葬を手伝いにきた地域の人が、埋葬を終えたあとに、その場所を踏みつけていたそうなんです。

佐藤さんは、その光景を、何十年も経った今でも鮮明に覚えていると話されていて……。今の自分の生活からは、到底想像できないような苦しさやつらさがあったのだと思いました。

松丘保養園での取材経験について語る工藤さん

工藤:佐藤さんのお話で、もう一つ印象に残っている場面があります。

保養園の外に、友人と車で出かけた際、湖で溺れていた幼い子どもを助けたことがあったそうです。けれど、その子の親は、お礼を言うこともなく、子どもを奪うようにしてその場を去っていったと話されていました。

もし助けていなければ、命が失われていたかもしれない状況だったにもかかわらず、外見や、ハンセン病元患者であるというだけで人を判断してしまう。本当にひどいし、悲しいことだと感じました。

――改めて当事者の方の声を聞くと、衝撃を受けますね。東北新生園ではどんなお話を伺いましたか?

小野:医療従事者の方からは、入所されている一人一人の背景や、これまでどんな経験をされてきたのかを配慮しながら治療にあたっている、というお話がありました。

ある看護師の方は、入所されている方の「やりたいこと」を書き留めたノートを作り、それを一つずつ実現していく取り組みをしているそうです。少しでも「生きていて良かった」と感じてもらえるように、日々向き合っているとお話されていました。

工藤:東北新生園については、「地域に開かれた場所で、あまり差別はなかった」という説明もありました。

ただ、実際に園内を見学していく中で外部から来る人との間に、目には見えないけれど静かな境界線のようなものが引かれていると感じました。個人的には、開かれているとはいえ、完全に差別がなかったわけではないのだなという印象を持ちました。

「いまを生きる自分たちに何ができるだろう」自問自答する日々

――今回の経験を通して、ハンセン病問題に対する考え方や、日常の行動に何か変化はありましたか。

上松:学んでいくうちに、私自身がハンセン病問題を、ただ「悲しい出来事」としてひとくくりにしてしまっていたことに気づきました。

確かに回復者の方々は、私たちには想像も理解もできないような経験をされてきましたが、取材を通してその生活の中には温かさや人とのつながりがあったことも教えていただきました。

一つの側面だけで捉えるのではなく、多角的に見ることが大切だと思いました。自分とは直接関係のないところで、こうした問題が起きたときに私には何ができるのだろうかということを日常的に考えるようになりました。

ハンセン病問題に対して、多角的な視点で向き合いたいと話す上松さん

小野:日常の中で、無意識のうちに偏見を持ってしまっていることに気づいてハッとさせられました。例えば、普段あまり関わる機会がない方たちに対して、固定観念で見ていたことも自覚し、「本当に良くなかったな……」と反省しました。

自分自身の中にある偏見を完全になくすことは難しいかもしれません。でも、それがあることを認識して、視点を切り替えてより良い方向に考えたり、行動できるようにしていきたいと思います。

工藤:私は知れば知るほど、自分が何も知らなかったことを恥ずかしく感じました。

日常の中での変化でいうと、私が利用する通学バスに視覚障害のある方がいつも乗っていらっしゃるんですが、これまでは「また同じバスに乗っているな」くらいにしか思っていませんでした。

取材を終えたあと、「声をかけてみよう」と思って勇気を出し、「お手伝いしましょうか」と声をかけたところ、「すごく助かりました」と言っていただいて。そのときは素直にうれしかったんです。

でも、振り返ってみると、「目が見えない=困っているに違いない」という前提で行動していたことにも気づきました。手伝っているつもりでも、勝手に相手のことを決めつけてしまっていたのかな、と。

そうではなくて、ただ“人と人”として、自然に助け合えるようになっていったら、差別が減っていくのではないかなと感じました。

――シンポジウムを通して特に伝えたいことはありますか?

工藤:私が一番伝えたいのは、佐藤さんが最後に話されていた「差別は悪だ」ということです。

どんなときでも、何が起こったとしても、差別だけは絶対にしてはいけない。ハンセン病の問題が時代とともに忘れられて、教科書の中の出来事になったとしても、そのことまで一緒に忘れてしまってはいけないと思いました。

これから先もきっと、別のさまざまな問題や偏見、差別は出てくると思います。でも、そのたびに「差別はしてはいけない」という原点に立ち戻れる社会を、みんなで一緒につくっていきたい。その思いを伝えたいです。

小野:私たちは子どもの頃から「他人の立場になって考えてごらん」と言われながら育ってきたと思いますが、いま一度そのことを伝えたいです。

ハンセン病回復者の方々に対して、無意識のうちに偏見を持ってしまっている人も少なくないかもしれません。シンポジウムを通してハンセン病問題について知ることで、もし自分が同じ立場だったらと考え、行動に移せる人が少しでも増えたらいいなと思っています。

いろいろな人がいるので、考え方の違いで対立することもあると思います。その違いを尊重し合える社会になってほしいです。

上松:東北新生園に訪れた際、ある方に「若い世代の方に来てもらったけれど、できることは何もないと思う」と言われました。私自身、このプログラムに取り組む中で「自分に何ができるだろうか」と考えていたので、心に刺さりました。

その後に、「過去に起きたことを学び、そこから何ができるかを考えることも大切だけれど、まずは自分自身がどんな場面でも偏見や差別をしないことが一番大切で、難しいことだ」とも言われました。

これから先も、未知の病が出てくることがあるかもしれません。そのときに、ハンセン病のときのように、病気を理由に人を遠ざけたり、人格まで否定してしまうことが起きないでほしい。

一人一人に何ができて、それによって社会が変わるかと聞かれたら、正直分かりません。でも、まずは「自分自身が差別をしないこと」。そのことを伝えたいです。

――参加者の一人として、楽しみにしていることはありますか?

小野:青森大学の学生の方が取り組んだ「デジタルアーカイブによる社会的記憶の継承―過去から未来へ」というテーマに興味があります。

最新の技術を使って、ハンセン病問題をどう伝え続けていくのかを学べるのではないかと思いました。高校ではなかなか学べないことなので、ぜひ聞いてみたいです。

シンポジウムを通して伝えたいこと

――改めて、ハンセン病問題に対する偏見や差別をなくすために、私たち一人一人にどんなことができると思いますか。

工藤:今回のシンポジウムに参加したり、リーフレットを読んで自分の中で考えてもらうことはもちろんですが、そこで終わらせず、次の人にもつないでいってほしいと思っています。

例えば、リーフレットに自分の気づいたことや感じたことを書き添えて別の人に渡すだけでも、受け取った人の考えが広がったり、新しい行動につながるかもしれません。

私たちと同世代の若い人たちだけでなく、両親のように、ハンセン病問題について知る機会が少なかった世代の方たちにも、ぜひ関心を持ってもらえたらうれしいです。

小野:まずは、ハンセン病について正しい知識を持ってもらうことだと思っています。過去にどのような差別があり、苦しんできた人がいたのか、そしていまも療養所で生活をされている方がいるということ。そうした事実を知ってもらうことが一番大切だと感じています。

そのうえで、ハンセン病問題を通して、自分の中にある偏見や差別的な見方に気づいたり、見直したりするきっかけになればと願っています。

上松:私たち3人も、このプログラムに参加していなかったら、ハンセン病問題についてずっと知らないままだったかもしれません。

シンポジウムに参加してくださること自体が、「知る」第一歩になっていると思います。そこから、それぞれが自分にできることを少しずつ考えていってもらえたらうれしいです。

私自身も、今回のプログラムへの参加を通して多くのことを学び、インターネット上にたくさんの資料や動画があることを知りました。少しでも関心を持っていただけたら、そうしたものにも目を向けてもらえたらと思います。

これから先に未知の病が出てきたり、別の差別の問題が起きたりしたときに、ハンセン病問題やこのシンポジウムで聞いたことを思い出して、「差別はしてはいけない」と立ち止まって考えるきっかけになればと思います。

家族や友人にもシンポジウムに参加してもらいたいと話す3人

編集後記

今回お話を伺った3人は、小学生時代にコロナ禍を経験しました。SNSをはじめ、あいまいな情報をもとに人々の感情が揺れ動き、差別が生まれていく過程を、身近な出来事として体験してきました。

だからこそ、ハンセン病問題を「過去のこと」ではなく、いまにつながる問題として、自分ごととして捉えているのかもしれません。それぞれの言葉はまっすぐで、むしろ大人世代が学ぶことの多さを感じさせられました。

「第25回ハンセン病問題に関するシンポジウム」は、2026年2月23日(月・祝)に、せんだいメディアテークで開催されます。プログラムはライブ配信も行われ、無料で視聴が可能です。ぜひご参加して、自分に何ができるかを考えるきっかけにしませんか。

撮影:永西永実

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