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ナイジェリア旧東部州におけるオーラルヒストリー

ナイジェリアでは、かつての南部ナイジェリア保護領の東部州(現在の同国南東部)において、20世紀初頭~半ばにかけ、世界で最も高い新患率をもち、その地域の有病率は10%に達していたという記録が残されています。何万人もの人々がハンセン病と診断され、他の国と同様に不当な扱いを受けていました。国や地域の保健機関より婚姻や子どもをつくることも制限されていたといいます。

イギリスの植民地であったナイジェリアでは、1920年代に英国キリスト教宣教会とBELRA(大英帝国ハンセン病協会)によるハンセン病対策が始まりました。強制的な隔離では患者が隠れてしまい、結果的には病状を悪化させてしまうという認識から、患者を収容し閉じ込めるのではなく、患者だけの集落を作り、その地で自立した生活を目指すというセツルメント型と呼ばれる治療・療養形態が編み出されていきました。

1932年、後に「世界のハンセン病対策につながる研究成果を残した」といわれるウズアコリ療養所が開設されます。これまで隠れていた患者もハンセン病治療に期待して療養所に押し寄せる形となり、療養所だけでは対処しきれないため、部族ごとの居住地内に、患者のための村をつくることになりました。その結果、患者は自分の部族の居住地内で暮らすことができ、それぞれの患者村につくられた診療所で治療を受けることができました。

1944年にはBELRAから派遣されたジョン・ロウ医師のもと、ウズアコリ療養所にはハンセン病研究センターが開設され、サルフォン剤DDS(ダプソン)の経口投与が始まります。同療養所には5,000人近い患者と家族が定住し、周辺地域には20,000人近い住民が患者村に暮らし、外来治療が行われていました。研究センターでは疫学的調査とともに臨床研究とデータ収集が行われ、後年B663(クロファズミン)を世界で初めてハンセン病治療薬として試用するなど、その結果は世界中から注目されるものでした。(注)

現在、ハンセン病は在宅・外来治療が基本となり、治癒する疾病となりました。ウズアコリ療養所は一般病棟に改装され、入所していた患者は支援団体の働きで故郷へ帰ったり、新しい土地での生活を始めたりと、かつてのウズアコリ療養所の面影は消えようとしています。

そこで、約90年に及ぶウズアコリ療養所や旧東部州におけるハンセン病の歴史を遺すため、かつての東部州である9つの州(Abia, Anambra, Enugu, Ebonyi, Imo, Bayelse, Cross River, River, AkwaIbom)に暮らすハンセン病回復者(以下、回復者)及び元保健職員に聞き取りを行い、当時の証言を保存する活動を実施しました。

聞き取りに関しては細心の注意を払い、次の手順で行いました。

  • 回復者と元保健職員の調査を行い、聞き取り対象者40名を選考する。
  • 聞き取り対象者候補に聞き取りの依頼をし、合意を取り付ける。
  • 聞き手7名を選考する。聞き手は、専門家による聞き取りトレーニングを受ける。
  • 聞き取りを実施し、音声録音もする。
  • 聞き取り内容を書き起こし、編集する。録音した音声は整理し、保存する。
  • 聞き取り内容を1冊の本にまとめ、書籍を制作する。(350部制作)
  • 書籍を適切な政府機関に提出し、保管されるようにする。

最終的に43名の回復者、9名の元保健職員、計52名(男性35名、女性17名)の証言を聞き取ることができました。ナイジェリアで回復者や元保健職員への聞き取りは初めての試みで、今までにはなかった当事者の視点からの歴史を保存することができました。かつての東部州でハンセン病とともに生き抜いた人々の口述歴史を集積し書籍とすることで、今後は書籍が活用され、その歴史が現在そして未来に継承されていくことが期待されています。

 

(協力してくれた回復者の皆さん)

ナイジェリアのハンセン病事情については下記のサイトをご覧ください。

http://leprosy.jp/world/sanatoriums_world/sanatoriums_w04/

オーラルヒストリーは下記からご覧いただけます!

Oral History Part1

Oral History Part2

Oral History Part3

Oral History Part4

(注)世界のハンセン病治療の遍歴ついては下記サイトをご参照ください。

http://leprosy.jp/about/cure/