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「カルテ」を活用した予測モデルを作りたい。Sasakawa看護フェローが海外へ留学した思い

デューク大学を卒業して帰国したSasakawa看護フェローの山﨑さん

取材:ささへるジャーナル編集部

病院や訪問看護ステーションにあるカルテには、患者の病状や診療経過に関する膨大な情報が記録されています。現状、医療従事者同士の情報共有を目的として活用されていますが、もしそれらが人々の病状の予測にも応用できるとしたら、医療の発展に大きく役立つのではないでしょうか。

笹川保健財団は、「看護師が社会を変える」をポリシーに、これからの保健分野を支える新たなリーダーとして、グローバルな視点を持った看護職を支援するための海外留学奨学金制度「Sasakawa看護フェロープログラム」(別タブで開く)を実施しています。

看護師の山﨑衣織(やまさき・いおり)さんは、同プログラムのフェローとして、アメリカのデューク大学集団保健科学学部の修士課程(Duke University Master of Science in  Population Health Sciences )へ進学。2024年5月に全課程を修了し、現在は大手IT企業で働いています。

留学前は、笹川保健財団の職員として「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業(別タブで開く)にも携わっていた山﨑さん。彼女の留学までの経緯や留学先で得た学び、今後の展望について、お話を伺いました。

カルテを用いた予測モデルを作るため、留学を決意

――Sasakawa看護フェローとして留学するまでの経緯を教えてください。

山﨑さん(以下、敬称略):看護大学を卒業して1年は都内の病院で看護師として働きましたが、その後ロサンゼルス郊外にある「サンタモニカコミュニティカレッジ」に留学し、ビジネスやITについて学びました。日本に帰国してからは2年ほどECサイトや在庫システムを作る企業に就職し、その後、笹川保健財団に転職して「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業のデータ調査に4年ほど携わりました。

――さまざまな経歴をお持ちなんですね。IT関連の仕事から再び看護に関わる仕事に携わろうと思ったのはなぜですか?

山﨑:企業でECサイトの売上げをもとに在庫の予測業務に携わっていたときに、「カルテを用いた予測モデルも作れるのではないか」という考えが頭に浮かびました。

そして「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業のデータ調査に関わり在宅看護センターのカルテを拝見して、その思いはさらに強くなりました。患者や利用者の転倒リスクや病状悪化・再発のリスクをカルテのデータによって予測し、より早期に、かつ具体的な対策もとれるようになるシステムを実現したいと考え、そのための知識を身に着けるために留学を決意しました。

――「Sasakawa看護フェロープログラム」へ応募しようと思った理由は何ですか?

山﨑:笹川保健財団が目指す「看護師が社会を変える」プロジェクトを立ち上げた喜多会長がおっしゃるように「看護師が社会を動かすには、さまざまな知識や文化を持った人たちと学びを深め、世界規模での技術、社会の動きや変化を体感する必要がある」という言葉に共感したためです。財団を辞め、フェローとして留学して、その役割を担おうと思いました。

看護師以外にもさまざまなキャリアを築いてきた山﨑さん

アメリカ社会を目の当たりにして変わった日本の見方

――留学先はデューク大学の修士課程ですよね。どのような分野を学ばれたのでしょうか?

山﨑:私が学んだ「Population Health Sciences(集団保健科学)」は、集団や地域社会全体の健康状態に着目し、そこに影響を与える社会的・経済的・環境的要因を多角的に調査・分析する領域です。ビッグデータを用いて健康格差を可視化し、それらを改善するためのエビデンスに基づいた戦略を立案・検証します。

例えば、アメリカでは日本のように国民皆保険制度(※)がありません。それによって、人種や学歴、年収が健康に影響を与えている可能性が長年示唆されていました。本学部ではそうした相関をビッグデータやエビデンスを用いて明らかにし、改善策を追究します。

※すべての国民が何らかの医療保険に加入し、互いに医療費を支え合う制度

――多様な文化があり、社会的競争が激しいアメリカならではの学問ですね。

山﨑:学部が創設されたのは2018年と比較的新しく、在籍する学生も少ない上に、教授に「Population Health Sciences」の博士号を持つ人は1人もいませんでした。そもそも「Population Health Sciences」という学問自体が新しく、専門として博士号を取得した人材がアメリカ国内でも多くなかったためです。その代わりに公衆衛生学や社会学、統計学など異なるバックグラウンドを持つ教授陣が集まっていて、少人数の学生に対して幅広い視点から指導していただくことができました。こうした新しさゆえの柔軟さや多様性は、アメリカならではのダイナミズムだと感じました。

デューク大学の選択科目として受講したGlobal Healthのメンバーと山﨑さん(左端)。画像提供:山﨑衣織

――留学1年目を終えた後の長期休暇には、日本企業でインターンシップを経験したと伺っています。

山﨑:はい。1社目は救急医療のカルテを提供している企業、2社目はデイケアサービスにシステムを提供する企業でインターンシップを経験しました。もともとカルテの予測モデルを作りたいという思いから留学していたこともあり、インターン先で大学での学びを実践できたことは、とても有意義でした。

実際に2社目の企業では、介護認定を受けている利用者のデータと、個々のADL(※)のデータを掛け合わせた予測モデルの調査に携わらせていただきました。その経験をもとに、修士論文ではアメリカが経時的に取得しているビッグデータを活用し、どのマシンラーニング(機械学習)が精度よく認知症を予測できるかを研究するに至りました。

※寝起きや移動,トイレや入浴,食事,着替えといった、日常生活を送るのに必要な最低限の基本動作のこと

――目標に向けて積極的に取り組んできたことが伝わります。他に留学生活を充実させる上で、心掛けていたことはありますか?

山﨑:私が大切にしていたのは「問い」を持つ姿勢です。看護大学時代の教授が、「質問はありますか?」と聞かれたら、「些細なことでもいいから最初に手を挙げる学生が一番偉い!」ということをよくおっしゃっていました。質問が1つも出ないと発表者は聴講者の理解度を測れませんし、最初に“あえて”素朴な疑問を投げかけることで、その後に続く質問が出やすくなるんです。

また喜多会長からも「講義を受けたら少なくとも3つの質問を用意すること」と教わりました。そうすることで、自然と授業に集中するようになりますし、講師の意図を読み取ろうと積極的に考える習慣が身につきます。

学生であるうちは失敗を恐れずにトライできるのも大きなポイントだと思います。社会人になると、会社や周囲に迷惑がかかることを考えて、どうしても新しい挑戦や発言に慎重になりがちです。でも学生は学費を払って学んでいる立場なので、むしろ失敗や疑問を恐れずに思いきり議論を深められます。そうした自由な試行錯誤こそが、学問の醍醐味だと思います。学びとは「良い問い」があってこそ始まるものだと考えます。

デューク大学のクラスメイトとランチを楽しむ山﨑さん(左端)。画像提供:山﨑衣織

――留学する前と留学した後のご自身を比べて、考え方に変化はありましたか?

山﨑:「Population Health Sciences」を学んで、日本に対する見方が圧倒的に変わりました。アメリカは経済規模が世界一で、アカデミアも多くのトップレベルの大学が揃っています。加えて、研究費が非常に潤沢で、最先端の技術や研究がどんどん生まれている状態に触れました。

その一方で、世界一の経済力やアカデミアの基盤があっても、その恩恵が社会全体に平等に還元されているとは言えない現実を見ました。例えば、先進国の中で唯一、平均寿命が縮んでいるという事実は、医療や保健サービスにアクセスしづらい層が増え、社会的・経済的な格差が拡大していることを強く示唆しています。

このギャップを目の当たりにして、改めて日本を見直すと、課題はあっても一定の医療や保健サービスが全国で受けられる仕組みが整っていたり、アメリカとは違う形で健康を守る方法が育まれていることに気づきました。そうした比較の視点を持てたのは、私にとって大きな変化でした。

オープンキャンパスで学生を代表して話をする山﨑さん(右)。画像提供:山﨑衣織
デューク大学の卒業式にて、同じ学部の仲間との記念写真。前列一番右が山﨑さん。画像提供:山﨑衣織

カルテのデータ、アルムナイの「知」を集結させて社会を変えていきたい

――留学を終えて日本に帰国した山﨑さんですが、今後、Sasakawa看護フェローとしてどのような社会をつくっていきたいですか?

山﨑:「データを活用した新しい社会のあり方」を追求したいと思っています。特にカルテのデータに注目しています。現在、カルテは医療従事者が情報を共有するための記録システムとして使われていますが、病院の数だけ、そして患者さんの数だけ膨大な情報が蓄積されています。もしこれらを集約・分析できれば、患者情報を入力するだけで疾患リスクや治療効果をある程度予測できるなど、単なる記録の枠を超えた可能性が広がると考えます。

なかでも私が注目しているのは、訪問看護利用者のデータです。訪問看護のカルテは利用者の1日の食事量や好み、趣味、家族との会話の内容といった、数値だけで表せられないデータが豊富に記録されています。私はそういうものにこそ、高齢化社会が抱える課題を解決するヒントが眠っていると信じています。

訪問看護データを包括的に収集・分析している国は世界的にも少ないですし、日本は世界でも最先端の高齢社会ですから、ここで得られた知見を研究に生かして、国際的な論文を発表できるような未来を目指したいです。

アルムナイとして、今後帰国するフェローとの関わり方について語る山﨑さん

――山﨑さんは、Sasakawa看護フェローのアルムナイ(卒業生)として、他のフェローとどのように関わっていきたいと考えていますか?

山﨑:アルムナイの強みは、いずれも看護師としての実践知をベースにしながら、それぞれの専門分野で培った知識を集結させ、多角的な視点から確かなエビデンスに基づいた意見として社会に提唱できる点にあると思います。

私は「Population Health Sciences」を専攻しましたが、他のフェローは教育学や公衆衛生学、政策の分野に進み、帰国後は異なるフィールドで活躍していきます。いざというときに、各分野のスペシャリストが強みを活かして団結して意見を述べられれば、笹川保健財団が掲げる「看護師が社会を変える」というポリシーにも近づけると信じています。

そのためにも、自身の仕事を主軸に置きつつ、末長くアルムナイのネットワークを維持し、お互いの専門性を活かして協力し合える関係性を築いていきたいと考えています。

山﨑さんは、Sasakawa看護フェローの同窓会組織「Alumni Association(アルムナイ・アソシエーション)」の事務局長として、会長の髙橋愛海さんとアルムナイのあるべき姿について打合せを重ねている

※髙橋愛海さんの記事はこちら(別タブで開く)

――最後に。大学院留学を考えている看護師の方に向けて、山﨑さんからエールをお願いします。

山﨑:「Japan is the future of the world(日本は世界の未来)」。これは留学中に教授からいただいた言葉です。日本が直面している少子高齢化は、いまや先進国だけでなく、発展途上国を含む多くの国々で急速に進行しつつあります。また災害に関しても同じことが言えます。日本は歴史的にさまざまな災害を経験し、その都度対策を講じてきましたが、地球温暖化の影響でこれまで災害が起こらなかった国でも災害が起きるようになりました。

こうした高齢化や災害といった課題の解決には、看護の力がとても重要だと考えます。看護は医療行為を支えるだけでなく、患者さんや地域住民の日常に近い立場で、身体面だけでなく生活環境や心理面までも含めた包括的なケアを提供する役割があるからです。そのため、社会の課題を捉え直し、人々の生活の質や安全を高めるための実践や研究を積み重ねられるのが看護の強みだと思います。

日本が抱える問題に真剣に取り組むことは、世界の問題を先取りして取り組むことにつながります。これから大学院留学を目指す看護師の方々には、ぜひ「自分の看護の力で社会をどう変えられるのか」「社会に対して何ができるのか」という問いを持って学んでほしいと思います。日本で培った実践や研究の成果は、必ずや世界の課題解決に生かされるはずです。

編集後記

カルテの内容から患者や利用者の今後が予測する。もしこれが実現できれば、日本だけでなく世界の医療の発展に大きく役立ち、より多くの患者さんの生活向上につながるのではないでしょうか。

山﨑さんの取り組みに大いに期待したいと思います。

ささへるジャーナルでは、今後もさまざまな分野で学ぶ看護フェローをご紹介していきます。

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撮影:永西永実

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